親ロシア派と徹底的に戦った幕府官僚「川路聖謨」 「儒学の伝統」こそが日本人を支えている理由

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そう思って、拙著『大人の道徳』では、儒学や武士道の伝統を重視した中江兆民や福沢諭吉を引き合いに出して、「市民」は「士民」、つまり「サムライの民」ではないのかと書きました。中江や福沢が目指したのは、国民がいわば「総武士化」することによって、日本の伝統に即した共和主義的な独立国家を打ち立てることだったはずだと思うのです。

「武士の土着化」と「国民の武士化」

古川:その観点からも興味深いと思うのが、前回も大場先生がご紹介くださった、荻生徂徠や会沢正志斎の「武士土着論」です。

大場:2人だけでなく、山鹿素行や熊沢蕃山をはじめとして、多くの儒学者が言及していますね。土地に根付いた分厚い共同体を重層的に構築することが、国家の安定に繋がるという、封建思想の制度的運用という視点から行われる場合もあれば、あるいは国防上、全国的な予備役体制を整えて動員力を確保しようとする視点から行われる場合など、論旨はさまざまですね。

古川:会沢の武士土着論は国防力の強化を意図したものでしたが、思想的に重要だと思うのは、それが現実の政策としては、農民の教育のための学校の設立や農兵の組織化につながったところです。「武士の土着化」の思想が、現実には「国民の武士化」、つまり国民の教化による国民意識の創出と一種の民兵制につながったわけです。後に中江兆民も「土著(土着)兵論」を書いて、スイスのような民兵制の導入を主張していますが、思想的に通底するものがあると思います。

一般に共和主義が民兵制や徴兵制を支持する理由は、国防力の強化もさることながら、むしろ主眼は市民の国家意識や「勇武の精神」の涵養という教育的な観点にあります。中江はその典型ですが、彼のようないわば日本的共和主義の源流として、江戸期の「武士土着論」の系譜を捉えることができるのではないでしょうか。

大場:会沢らに代表される後期水戸学が国民意識の創出を目指して、積極的な国民教化を図り、結果的に大規模な政治運動を生んだことは、J・ヴィクター・コシュマンの『水戸イデオロギー』以降、注目されている所です。

ただ、こうした先行研究は、日本がその後、狭隘なナショナリズムによって軍国主義化していくという、結論ありきで負の側面ばかりを強調します。

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