親ロシア派と徹底的に戦った幕府官僚「川路聖謨」 「儒学の伝統」こそが日本人を支えている理由

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古川:これは1942年に書かれた文章ですが、いまや学問の世界は完全に悪魔の策略に落ちてしまったという感を禁じえません。もちろん、自分自身への反省も含めて、ですが。

親ロシア派と戦った川路聖謨

大場:ただ、過去の学者を見れば、悪魔にたぶらかされていないケースは多く見つかりますね。産経新聞(大阪本社版夕刊)に連載中の『日本の道統』でも触れましたが、例えば江戸時代末期の幕府官僚で朱子学に傾倒した川路聖謨はその典型でしょうね。国内では英米の脅威を過剰に感じて、ロシアは信用できるといった親露派と徹底的に戦い、外交現場でもプチャーチンをけんもほろろにあしらいました。

古川:川路の聡明さには、欧米の外交官たちも驚嘆したという記録が残っていますね。少し時代は遡りますが、同じ朱子学者の新井白石も、実務家としても優秀でした。

朱子学というと、一般的には、形而上学的で現実の役に立たず、日本思想史ではその点を批判するかたちで登場したのが伊藤仁斎などの古学である、といった説明がされますが、そう単純な話でもないわけですか?

大場 一央(おおば かずお)昭和54年、札幌市生まれ。早稲田大学教育学部教育学科教育学専修卒業。早稲田大文学研究科博士後期課程単位取得退学。博士(文学)。現在、早稲田大学、明治大学、国士舘大学などで非常勤講師を務める。専門は中国近世思想(王陽明)、日本近世思想(後期水戸学)。著書に『心即理|王陽明前期思想の研究』(汲古書院)。対談に「渋沢栄一が残した日本の伝統とは」(中野剛志氏と。雑誌『正論』)、「保守とは何か」(施光恒氏と。「産経新聞」)など。現在、産経新聞大阪本社版夕刊で「日本の道統」と題したコラムを担当し、日本の人物・思想家49人をとりあげて、「人倫」をキーワードにした日本固有の思想について連載している(写真:筆者提供)

大場:ええ。とにかく朱子学というのは朱熹一代で完成された学問ですね。あらゆる議論は、朱熹自身が尽くしています。だから、朱子学を否定するなら、朱子学そのものの中から飛び出ないといけない。その意味で修正朱子学は存在しないと言えるでしょう。それ故、朱子学者は実践、つまり実務によって学問の正しさを証明するしかないのです。

先の議論であれば、確固とした歴史意識、世界観を持ち、それを現状に反映させつつ合理的な思考、振る舞いが可能かを追求したため、優秀な実務家を輩出したと言えるのではないかと思います。これは明治維新以降、西周にしても中村正直にしても、昌平坂学問所で学問の基礎を叩き込まれた人は同じような傾向があると言えます。一方で、川路と同時代人の横井小楠や橋本左内らは洋書に親しんでいるから最新情報には詳しいけれど、事実判断や状況判断としては、彼らの言説は全く通用しませんでした。

これも幕末に水戸学を大成した1人として知られる会沢正志斎は、当時日本国内で流行した「日本はいざとなれば最強だから、全部はねつけて大丈夫」「外国は通商を求めているだけだから、要求を呑めば良い」「外国の思想はレベルが低いから、交流しても脅威にはならない」「外国の武力は脅威だから刺激しないで友好関係を結ぶべきだ」といった議論に対し、全て間違っていると斬って捨てます。

「こざかしい人間は、目先のニュースに右往左往して、はっきりとした国家観がないので、いつも心がいそがしく、中心軸を失い、どれもこれも、外国人が設定した世界観やルールにはまりこんで物事を考えるようになっていることに気づいていない」(小智曲慮、齷齪として大計を知らざる者は、心放れ眼眩み、相率ゐて黠虜の術中に入りて自ら知らず)と言うんですね。

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