親ロシア派と徹底的に戦った幕府官僚「川路聖謨」 「儒学の伝統」こそが日本人を支えている理由

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古川:まさにそれです。だから私は、たしかに無や自然に向かう仏老や国学の思想も日本の伝統ですが、同時に、むしろ大事なのは儒学ではないかと思うのです。儒学は、いかに身を修め、国家・社会を作り、維持していくかという、建設の思想ですよね。そのあたりのことを、今日はぜひ大場先生に教わりたいと思っていました。

丸山眞男の「物語」

大場:思想史の世界では丸山眞男の打ち出した物語が非常に力を持っています。観念的な朱子学を超克し、近代的個が生じたというものですね。

ただ、中国思想史の理解からすれば稚拙とも言える部分が否めません。魔術的なものから個人を開放して、考える力、人生を作る責任を問い直したものが朱子学であり、それこそ近代の始まりといっていいものでしょう。中国大陸や朝鮮半島では、科挙に組み込まれ出世や権力抗争の道具、体制護持の教学となった面もあります。

しかし、日本は徳川家康が朱子学の文脈で、自由人であり、世界秩序の担い手としての「武士」を規定しました。「国民の武士化」とでもいえるでしょうか。ただ、この場合も、儒学は決して「国教」ではないので、政権批判すら辞さない。自由に発言する土台として機能できたわけですね。

古川:いわゆる「保守」からも「リベラル」からも共通して聞こえてくるのは、日本の文化的伝統のなかからは、西洋の自律的市民のような人間像は出てこない、という主張です。しかし、私はかねて、いったい何を根拠にそんなことがいえるのか、疑問なんです。これも「日本人の精神の改造」が必要だという「丸山パラダイム」なのでしょうか。

大場先生がご指摘されたように、武士という人間像はかなり自律的なものだったと思うのです。

主君がダメな場合は家臣が主君を監禁してしまうこともあったという、笠谷和比古先生の『主君「押込」の構造』などは学生時代におもしろく読みましたし、『葉隠』なんかを読んでみても、主君に耳障りな諫言を繰り返して、ついには毛嫌いされて切腹を命じられるのが、家臣としての最高の名誉だ、みたいなことが書かれています。

こういうところに、西洋の共和主義的市民の自律や独立に通じるような精神的態度を見いだすことは、いくらでもできるのではないでしょうか。

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