以上、長々と書いた「圧縮音源の常態化」「スマホによる“ながら聴き”」「スピーカーのない生活」に加えて、追い打ちをかけたのが、言うまでもなくコロナ禍だ。
ライブやイベント、カラオケなど、高音質や大音量に生で触れる機会が一気に喪失されたこと。これらが相まって、映画館という「高音質大音量」空間で「聴く映画」に没入する背景が生まれてきたと考えるのである。
「リスニング空間」としての潜在マーケット
ここまでの論は、スマホも圧縮音源もなく、逆にスピーカーはどこにでもあった時代を知っているロートルの意見なのかもしれないが、それでも「高音質大音量」は、若い方にも共有し得る肉体的・直感的な快感だと思うので、そこには大きな需要があるはずだ。
そして、そんな需要の受け皿として、特に映画館には大きなチャンスがある。具体的には、「聴く映画」から転じて、映画以外、つまり映像なしの「リスニング空間」としての潜在マーケットだ。
例えば、シネコンの巨大スピーカーを使って、名盤レコードを「高音質大音量」で聴くイベント(かつて「レコード・コンサート」と呼ばれたもの)。この企画、内容もシンプルだし、またそれほどの元手も要らない。ちょっとしたレコードプレイヤーとLPがあればいい。
大滝詠一『A LONG VACATION』を、A・ B面通して、爆音で聴くイベントがあるとして、それが映画と同程度の料金であれば、私はぜひ参加したいと思う。
映画『コーダ あいのうた』を盛り上げるのは、ジョニ・ミッチェルの『Both Sides Now』(青春の光と影)という曲だ。「高音質大音量」に包まれて、映画館でうっとりとしながら私は、映像に加えて音という両面(Both Sides)の潜在マーケットについて考えていた。
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