すると、先生は「この研究室は物理学の研究室であって、何かをやってはいけないという決まりはない。そこに面白い“物理”があるのであればやめてはいけない。分野から外れても私は指導可能だ」と返した。
いかに優秀な研究者であっても少し専門分野から外れた途端、急激に精度が落ちるというのはよくあることだが、その枠を先生は取り払ったのだ。実際、あらゆる現象の本質を、分野を取り払った多角的な視点から見極めていた。一度、
「なんでそんなことまで理解しているのですか?」と聞くと、当時39歳であった先生の答えは、こうだった。
「僕は大学時代に日本語で書かれている物理の本は全部読んで理解した。今の奥さんと出会った合コンにも物理の本を持っていった!」
そして、こう続けた。
「歴史に残るクラシック音楽(※齊藤先生も私も音楽をやる)は構造的にも論理的にも美しいでしょ? 物理も同じ。論理体系に無駄がなく完璧性がある。広く深く学ぶほどそれが理解できて、そこに人間の作った境界など存在しない。岡本君もそういう見方を身に付けるといいよ」
確かに、質問に行くたび、それを痛感させられるばかりだった。先生は“物理学”というフィールドの中にある境界を取り払い、「自由」な感覚で全自然現象の理解という目的に向かっている。先生がグローバルかどうかなどは言うまでもない。
境界を取り払うことで「自由」が生まれ挑戦の幅を広げる。それを痛感しケンブリッジへと飛び立った。ケンブリッジでは、たとえ自分独りで境界を越えられなくても、面白いアイデアであればそれが境界を越えて共感を生み、自分と異なる強みを持つ人たちとつながることができた。そしてそれが形になるまでを実体験を通じて学ぶことまでできた。
世界トップレベルの専門家たちが存在する国、インターネットなどの社会インフラが都市部だけでなく地方部でも普及している国、日本。そして、地方部には固有の社会資源の他に社会課題が山積し、課題先進地域と呼ばれている。何が必要で、何があれば“the power of idea”をそこで発揮できるのか。「課題を知っている」にとどまらず、前に進んで行きたいと思う。
学びて思わざれば、すなわちくらく、思いて学ばざれば、すなわちあやうし(論語「為政」より)
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