ルミネ:有楽町マリオン・西武有楽町跡に自信の出店のワケは?《それゆけ!カナモリさん》

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ルミネ:有楽町マリオン・西武有楽町跡に自信の出店のワケは?《それゆけ!カナモリさん》

■ルミネが有楽町の顔に、時代変化象徴

 『有楽町マリオン「西武」跡に「ルミネ」新店−2011年秋オープンへ』(2010年11月11日:みんなの経済新聞ネットワーク・銀座経済新聞)

 上記の記事には、家電量販店大手「ヤマダ電機」が出店へ意欲を見せたことなども報じられ、今後の展開に注目が集まっていたと記されているが、ほかにも、三菱商事や住友商事などの商社、三井不動産などのデベロッパー、そしてイオンも手を挙げていた。大家である朝日新聞と松竹の決め手は何だったのだろうか。

  上記記事と11月11日付日本経済新聞夕刊コラム「ニュースの理由」にそのコタエが記されていた。タイトルは「ルミネ、有楽町に来秋出店」とある。ルミネが提示した出店条件は大家側にとって最上ではなかった(主に賃料の面で)というが、それにも関わらず選ばれたのは、「駅ビル変身、手腕に白羽」という記事のサブタイトルが示すとおりだ。有楽町西武が開店したのは26年前。1984年、日本がバブルに足を踏み入れた時だった。その当時の駅ビルは商業施設としての館の統一感が取れておらず「ダサイ場所」に近かった(同・日経記事)とある。それを今日のように大変身させたのが、大家から「白羽の矢が立った理由」である。

 ここで背景を押さえたい。「高級」路線をウリにオープンした西武有楽町店の閉店が象徴的だが、ここ数年で閉店した百貨店は多く、生き残りをかけた経営統合も相次いだ。日本百貨店協会が発表している「平成22年9月 全国百貨店売上高概況」という速報を見ると、地域別は全て対前年マイナス。商品別でもサービス、商品券、その他以外全てマイナス。壮絶な状況である。

 「百貨店」という言葉は、「Department store」の訳語だ。本来直訳すれば、「部門商店」だが、「何でも揃っている」との意を込めて「百貨」の文字が用いられている。そして、日本百貨店協会が設立されたのが1948年。第二次世界大戦終戦の3年後だ。その後、戦後復興期(1945年~1955年)、第一次高度成長期(1955年~1965年)、第二次高度成長期(1965年~1970年)と歴史は進む。

  モノがない時代から、モノが大量に生産され、大量に消費されていく時代への変遷。「迅速な生産と供給」がビジネスの成功のカギ(KSF=Key Success Factor)であり、作れば売れる、並べれば売れた時代であった。百貨店は「小売の王様」と呼ばれていた。1973年、79年の2度のオイルショックもあり、70年代は低成長安定の時代とも呼ばれたが、消費は1986年からのバブル景気で頂点を迎えた。

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