山梨にある「世界最古の温泉旅館」知られざる秘密 〝温泉旅館の親父を貫け"の奥深い意味

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ひと言でいえば、客に迎合はしないという姿勢だ。それでも、どこかで評判を聞きつけてやってくる欧米人はいるものだ。その点は見越して、インバウンド需要が盛り上がってきたころに、あらかじめ大きめのスリッパと長めの布団を特注したという。

するとアジア人に比べて体が大きい欧米の観光客は驚く。「前に泊まった旅館ではスリッパがきつく、布団から足がはみ出して寝づらかったのに、この宿は違う」と。この驚きが感動の記憶として残り、結果としてリピートにつながる。ただし、こうした準備があることを自らアピールはしない。

積極的には宣伝しない。自らの本質を変えてまで客に合わせることもしない。だが縁あって来館してくれた人には極上の時間を過ごしてもらえるよう、考えうる万全の体制は整えておいて、さも当たり前のように提供する。欧米人観光客への対応は一例であり、徹頭徹尾、このような姿勢が貫かれているという。

自分たちのやり方に従ってもらうばかりでは、旅館としてもっとも重要なホスピタリティが損なわれてしまうと考えてこそ、このさじ加減になるのだろう。

聞けば慶雲館は総じて客筋がいいという。日本人も外国人もマナーと節度を守り、それぞれが心地良い時間を過ごす。信念を貫くという筋の通った宿には、信念を尊重するという筋の通った客がつくという証しにも見える。

「頑固であれ。〝温泉旅館の親父〟を貫け」

ところで慶雲館は、代々、創業一家によって営まれてきた。しかし先代・深澤雄二には後継ぎがなく、2017(平成29)年、先代に見込まれた川野社長が、53代目として経営を受け継ぐことになった。

「社長になろうと思って入社したわけではない」と当人が話すとおり、まるで思ってもみなかった社長就任の打診を最初は断ったという。

しかし、1984(昭和59)年に25歳で入社して以来、不思議と先代とは馬が合い、しょっちゅう叱られながらも多くを学んだことは事実だった。加えて、すでに先代は80代に差し掛かっており、後継者問題の解決は待ったなしだった。迷ったあげく、この由緒正しい温泉旅館のトップに立つという重責を引き受ける覚悟を決めた。

「頑固であれ。流行に飛びつくな。〝温泉旅館の親父〟を貫け」とは先代の教えだという。川野社長が考えるに、その真意は次のようなものだ。

あれこれと手を出すと、考えなくてはいけないことが増える分、思考散漫となって質の高い判断ができなくなる。だから頑固なまでに1つのことに集中せよ。

流行に乗せられて目移りなどせず、旅館業一筋で真面目に続けていれば、経験が蓄積される。そして、たとえ沈む時期はあっても、長年の経験という財産を持って必ず浮上することができる。

温泉や建物、従業員の振る舞いを通じて日本の旅館の良さを伝えていけば、この先100年でも200年でも続いていく。

先代の薫陶を受けた川野社長は、こうした教えを今なお守りつつ、つねに「先代ならばどうするだろうか」と考えて、経営に当たっているという。

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