山梨にある「世界最古の温泉旅館」知られざる秘密 〝温泉旅館の親父を貫け"の奥深い意味
実は、この業態のほうが温泉旅館としてよりも歴史は長い。1970年代から何度かの増築と改築を経て最終的に旅館へと生まれ変わったのは、1997(平成9)年のこと。「この先は湯治場だけではやっていけない」と考えた先代・深澤雄二の経営判断だったという。
医療や医薬品など未発達だった時代に、湯治は病苦を癒やす一番の民間療法だった。慶雲館の代々の当主は、いつしか訪れる人々から「湯坊様」と呼ばれるようになったそうだ。僧侶だったわけではないが、薬効あらたかな湯の守り人に対する感謝と敬意の表れだろう。50代当主くらいまでは、この愛称で通っていたという。
伝統と挑戦の掛け合わせが、唯一無二の価値を作る
温泉宿の最大の財産は、いうまでもなく温泉だ。しかし「温泉だけでは、知る人ぞ知る湯治場のままで終わってしまう」と53代目・川野健治郎社長は話す。そこで慶雲館が重んじているのが、泉質だけに頼らない「温泉力」だ。同社が定義する「温泉力」とは、自然の恵みである温泉に加えて、質の高い料理、格調ある建物、行き届いたもてなしも含めた、総合的な価値を高めるということである。
そのうえでなら、車でも公共交通機関でもアクセスしにくい不便さも1つの価値になるのではないか、と川野社長は考えている。観光業では基本的に「安・近・短」が重んじられる。一方、簡単には辿り着けないという希少性は「秘湯」というイメージとも相まって魅力的である。排気ガスの届きにくい山間部の清涼な空気は、温泉に次ぐ自然の恵みだ。
現に2020年のコロナ禍では、いわゆる「3密(密閉・密集・密接)」を避けたい温泉客が、人里離れた慶雲館を好んで訪れたという。
もちろんこれらは、慶雲館を特別な温泉旅館とする付加的な価値であって、一番の売りが温泉そのものであることには変わりない。
先代の時代に湯治場のある自炊型宿泊施設から温泉旅館に作り変えられた、と先述したが、その際には開湯1300年の記念事業として、敷地内で新たに温泉を掘削した。温泉掘削は数千万~億単位の莫大な費用がかかる大事業だ。しかも温泉が湧く位置を正確に割り出すことはほぼ不可能であり、博打のようなものである。
慶雲館は、文字通り大きな賭けだったこの事業に挑み、みごと成功した。先代が「ここだ」と目星をつけた場所に温泉が出たのだ。それも52℃の湯が1分間に1600リットル(ドラム缶8本分)も自噴するという大当たりだった。自噴圧は17気圧、これはまれに見る高圧力であり、掘り当てたときには文字どおり湯柱が170メートルほども上がったという。
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