山梨にある「世界最古の温泉旅館」知られざる秘密 〝温泉旅館の親父を貫け"の奥深い意味
藤原氏に発見され「湯坊様」と親しまれた湯治場
山梨県の山間部、早川町に建つ慶雲館は1300年余りの歴史を誇り、2011(平成23)年にギネス認定された「世界最古の温泉旅館」である。
その発祥は705(慶雲2)年、藤原真人なる人物が源泉を発見したことだ。700年代という時代と「藤原」の名から、何となく想像がついた人も多いかもしれない。平安時代に権勢を誇った藤原氏の始祖であり、645(皇極天皇4)年に始まる大化の改新を率いた藤原鎌足、その長男が藤原真人である。
ことの起こりは次のように言い伝えられている。
学僧だった真人は現在の山梨県の山間部に住居を構え、地元の女性と共に家庭を築いていた。ある日、山に狩猟に出た折、湯川という川の岩間から吹き出る湯を発見し、ためしに湯に体を浸してみると、疲れも痛みもすっかり解消してしまった。
そこで真人は、この秘湯に至る道を切り開き、湯壺を建設した。当初は近隣の人々が体を癒やす程度だったが、やがて周囲の村々にも評判が広まり、多くの人が御礼の品に粟や麦などを持参して訪れるようになったという。
この湯治場の評判は、時の権力者の耳にも入った。
758(天平宝字2)年には病にかかった孝謙天皇が湯治に訪れ、20日あまりで全快した他、武田信玄や徳川家康も、この湯で戦の疲れを癒やしたと言い伝えられている。武田二十四将の一人、穴山梅雪が湯治に訪れた折、慶雲館の守護神・湯王大権現に奉納したという銅鑼は、現在も家宝として慶雲館の当主に受け継がれている。
藤原真人が偶然にも発見した温泉は、こうして各地から人がやってくる湯治場へと発展した。といっても当初は旅館ではなく、自炊のできる宿泊施設だった。訪れた人々は自ら寝食を整えつつ、一定期間を過ごしたのである。
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