優等生で居続けたいと無理重ねるのがしんどい訳 水木しげるが作中に遺した「エリート病」への皮肉

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一般的によしとされる勉強することや、優等生になることが、まるで悪いことのように言われる。このとぼけたセリフにも、水木サンの鋭い感性が潜んでいる。

奥方はさらにこう続ける。

「自分が日本一のカンオケ職人だ、カンオケ界の王者だという自負心が、一ヵ月に三百個のカンオケを作らせるのでしょうねえ」

1969年当時のマンガ業界のパロディを描きつつ……

有名な話として、水木サンはこの短編を、故・手塚治虫をモデルにして描いたという。作品が発表された1969年当時、同氏はすでに漫画の神様と呼ばれるのにふさわしい活躍をしていたにもかかわらず、あらゆるジャンルを制覇すべく、妖怪マンガにも進出して、1967年から「週刊少年サンデー」に『どろろ』を連載していた。

手塚治虫が負けず嫌いであったことは、本人も著書に書いており、多くのゆかりの人たちも認めるところだ。マンガに関することでは、すべてにおいて自分が一番でなければ気がすまない面があったのかもしれない。

また、この作品にはマンガ業界のパロディとも言える描写が数多く見られる。

カンオケの生産数はマンガの月産ページ数を思わせ、徳兵ヱが、「聞くところによりますと、昌平黌あたりでもカンオケを研究する者ができたとか」と言うのは、大学でマンガを研究テーマにするところが現れたことを示唆し、「近代的な分業システム」でカンオケを大量生産する『山城屋』は、『ゴルゴ13』シリーズの「さいとうプロ」を連想させる。

次ページ当時のマンガの地位の向上を示している
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