芥川龍之介が3万字論文書いた「木曽義仲」の魅力 松尾芭蕉も愛惜した猛将の知られざる実像
「彼の一生は失敗の一生」と評した芥川龍之介
日本近代文学を代表する作家・芥川龍之介(1892~1927)は、東京府立第三中学校在学中に、平安時代末の武将・木曽(源)義仲に関する評論を執筆している。「木曽義仲論」(東京府立第三中学校学友会誌)である。その文章・文体は「羅生門」「鼻」になじんだ現代の読者にとっては、かなり堅苦しく、難解な漢字がちりばめられ、読む人によっては、とても学生が書いたものとは思われないと感じる人もいるだろう。
しかし、この美文調からはかえって、若き日の芥川が義仲に寄せた熱情を感じる。義仲は、平家の軍勢を打ち破り、上洛の栄誉を飾るも、後白河法皇と不和となり、最後には同族である源頼朝に攻められ、悲劇的最期を遂げた武将だ。
その武将の生涯を芥川は「彼の一生は失敗の一生也。彼の歴史は蹉跌の歴史也。彼の一代は薄幸の一代也。然れども彼の生涯は男らしき生涯」という言葉でまとめている。また芥川は「彼は赤誠の人也、彼は熱情の人也」と義仲を評する。
つまり、義仲は失敗続きで、不幸だったかもしれないが、その人格は純粋で熱情的だったというのだ。私は義仲を失敗続きの不幸な人とは思わないのだが、芥川は、義仲のそうした点に魅力を感じ、3万字に及ぶ大論文を書き上げたのだろう。私事で恐縮だが、かつてNHKで『人形歴史スペクタクル 平家物語』(1993~1995)という人形劇が放送されていたが、小学生だった私も視聴していた。
平清盛、源頼朝、義経ほかさまざまな武将が登場するのだが、そうしたあまたの武将のなかで、最も印象に残ったのが、義仲だった。粗野だが、どこかコミカルで憎めない、それでいて勇猛、最後は哀れな死に方をする。そこがとても印象的だったのだが、そう感じていたのは、何も私だけではなく、同じような年代で同番組を視聴していた妻も、義仲がいちばんよかったと話していた。
義仲を愛惜した人物としては、江戸時代前期の俳諧師・松尾芭蕉が有名であるが、時や老若を超え、義仲は人々に鮮烈な印象を残し、愛されてきたのである。では、勇猛果敢な義仲はなぜ滅び去ったのか。彼の生涯をたどりつつ、教訓となるべきことを見出したいと思う。
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