もちろん母は捜索願を出し、必死で息子を探していた。当時を思い出し「見返してやる!」という冒頭の発言につながる。
夫の会社運営に消えた、妻の留学資金
帰国後しばらくは、職を転々とした。「俺は職もないのに、いい会社に入りたいと思っていたんですよね」。秀郎さんにとっての「いい会社」とは「従業員みんなのことを家族のように思ってくれる会社」。屋根板金の仕事をしていたとき、ひとり、そういう社長がいた。その人のことを「オヤジ」と今も慕う、67歳の社長は、秀郎さんを息子のようにかわいがり、学校にも通わせてくれた。
「オヤジは働いている人のことを考えてくれる。俺のすべてを認めてくれていた。楽しくて、優しくて、この人の下で働くなら給料いらないと思いました。愛があったんですよね」。そんな会社を、いつか作りたいという夢が生まれ、帰国後8年で塗装会社を創業した。
結婚したのは夫28歳、妻24歳のとき。付き合って3年経っていた。当時のことを振り返り、妻の冴華さんは「付き合ってからの1年間で職を4つも変えていたので、心配だった」という。そして不安は的中する。
冴華さんは子どもの頃から「留学して英語を勉強してグラフィックデザイナーになる」という夢を持っていた。中学生・高校生の頃からアルバイトをして貯めたおカネが、21~22歳のときには360万円になっていた。それは、すべて、夫の事業につぎ込まれた。
最初は300万円を留学資金に残しておこうと思い、「60万円だけならあなたの仕事に投資するよ」と言った。秀郎さんはそのおカネで脚立や材料を買い「もう少し、もう少し」と借りを増やすうちに、冴華さんの貯金は底を突いた。
その後も冴華さんの苦労は続く。外で働いた分のおカネは、すべて夫が経営する会社の従業員の給与に流れていった。毎晩、パソコン作業も手伝い、年末は経費の精算なども大変だった。当時の年商は3000万円。従業員7人には月18万円、経営者夫婦は12万円で暮らしていた。
「あれは暗黒の5年間でした」と冴華さんは振り返る。一方で楽観的な秀郎さんは「一生懸命まじめにやっていたら、おカネはついてくる」と思っていた。
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