アジア史から見えてくる「日本史×中国史」の核心 日本が「中国化」せず「西洋化」に適合した理由
アジア史の視点で日本史を見る意義
五百旗頭:岡本先生の近著『中国史とつなげて学ぶ日本全史』を読んで、大きな衝撃を受けました。
日本史だけ見ていると、大切なことが見えない部分がある。逆にユーラシア史を見ることで、日本史の本質や特徴が鮮明に見えてきました。
岡本:ありがとうございます。私自身は日本史を専門の教育課程で学んだことはないので、言ってみれば我流ですが、ただ我流であればこそ、僭越にも通常の自国史に対する教育研究だけでは見えないもの、あるいは専門家が気づいていない点に気づける部分もあると思って、この本を書きました。ですので、日本史を専門とする本職の先生からご見解をいただきたいですし、間違った部分があれば指摘していただけたらと思っています。
五百旗頭:ユーラシア史からの視点で日本史を見ないといけないと痛感したのは、ユーラシア史は狩猟民族・遊牧民族と農耕民族の関係が重要な歴史の軸としてあるのに対して、日本史にはそれがほとんどないということです。
岡本:東洋史の大家・宮崎市定先生の名言に、「ないものを探す」ことが大切だというのがありまして、古代中国にもギリシア・ローマ的な都市国家があるという説を出されましたが、日本には都市国家がないと。つまり東洋史的なものが日本史にはないとおっしゃっていて、それが東洋史の視点で日本史をみなければという発想の源になっています。
五百旗頭:著書の中で、唐の律令制は、寒冷化の影響で北方にいた遊牧民族が南下してきたために、遊牧民族と農耕民族を統合しなければということでその制度を敷いたと書かれていました。寒冷化と律令制の関係も日本史だけではなかなか見えてこない部分かと思います。
岡本:ご指摘のように、隋唐の律令制度は寒冷化に対応するシステムという意味合いが強くなります。律令そのものは、中国では通時代的にあるのですが、やはり時代によって、その有した意義は異なるからです。
中国は「法」で縛るよりも「徳」や「義」で治める政治を理想としていますが、寒冷化で生産力が下がってくると、衣食住とりわけ食糧の確保が何より重要になりますので、「徳義」などといっていられない、土地の生産力を最大限引き出す政策、つまり人を土地に縛りつけて働かせる、農業に従事させる強制的な方策が前面に出てきます。その実効性を高めるために「法律」や「制度」が重視されました。
そのような寒冷化対応の社会システムを飛鳥・奈良時代の日本は輸入しましたが、実はその頃には中国の寒冷化もだいぶ末期で人々の生活も楽になっていました。つまり強制を目指しながら、それを緩和してきたという、だいぶ中途半端で時代遅れの制度を、日本は中国のコピーとして輸入し、新たな統治システムにしてしまったと言えます。