モンゴル帝国崩壊はペスト流行が一因だった⁉ 「世界史のグローバル化」と感染症の深い関係
グローバルな感染症とWHO
去る3月11日、WHO(世界保健機関)がいわゆる「パンデミック(世界的大流行)」と判断した新型コロナウィルスの猛威は、とどまるところを知らない。
日本でも情勢は緊迫、去る4月7日、7都府県に緊急事態宣言が発令され、そして同月中旬には、全国に適用されることにもなった。いまも深刻な様相からなかなか脱却できていない。
そのWHOは言わずと知れた保健・医療の国際組織である。まさしく多国籍の人々が結集、組織し、世界共通のグローバル・スタンダード的な公衆衛生の見地・論理で動く機関にほかならない。
世界に蔓延する感染症は、そうしたグローバルな機関が所管する問題、もっと言えば、立ち向かう敵として存在する。「パンデミック」と判断、宣言するのも、したがってWHOの役割であった。いまアメリカ・トランプ大統領が批判を向けているのも、そうした国際的・グローバルな機能を十分に果たさず、事態の悪化を招いたという点にある。
もっともらしく書き綴った以上の見方は、しかしよく考えてみると、いささかおかしいのかもしれない。つまり、グローバルな感染症が発生したから、それに備えて、グローバルな知見・組織・機関・体制ができ、稼働した、というような筋道・因果関係に見える。けれども時系列的・歴史的にみれば、逆ではなかろうか。
そもそも普遍的な医学・公衆衛生とは、疾病・感染症がグローバルなものになったからこそ、生まれてきたものである。それならその前に、病気の伝染がグローバル化していなくてはならない。
感染が地球規模の広域に広がるには、人々の集団・移動がグローバルなスケールになっていなければ、起こりえないだろう。多くの人を動かし、集めるような体制の広域化、グローバルな知見と組織の形成のほうが、むしろわれわれのイメージする感染症の前提にある。
昔のローカルな範囲でなら、病気になっても医学や国際機関は不用だった。思いもよらなかったと言うべきかもしれない。例えば呪術や祈願で済ませていたものであって、それが歴史の示すところである。
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