アジア史から見えてくる「日本史×中国史」の核心 日本が「中国化」せず「西洋化」に適合した理由
岡本:そういう発想が、変な言い方ですけど、中国にはないんですね。優れている部分、役に立つ部分を取ればよいという感じで、大久保とか木戸と同じ時代の19世紀の終わりには、「中体西用」なんて言い方もしていますが、その意味では、きわめて短絡的なんですね。そうではないと言う人もいますが、どこまでいっても、いわば譲れない独自の体系というのを中国は具有している。そのためか、外をみるのに体系的な姿勢にはならないところが中国社会のおもしろいところですね。
五百旗頭:福澤諭吉の『文明論之概略』を見ると、イデアとしての西洋とは何か。おおよその体系としてはこうだろうということが書かれています。しかし、同じような体系を欧米の人が書いているかというと、意外にそうでもない。
もちろん、角度によっては福澤より深いものが当然ありますが、福澤のように、さらっと全体の体系を書けてしまうというのは、離れているからこそ、時間をかけてひと通り具備することができたのでしょう。
どんどん源泉までさかのぼると、文学や絵画にも、あらゆるものにつながっていく。だから、欧米のような国民国家をつくるというのに、さまざまな趣味や特技を持った人が、結局どこかの源泉という形でつながっていった。だからこそ、明治期の日本は割とうまくいった。
岡本:そうですね。そこは確かにあると思います。うかがっていて、逆に中国は「源泉」までさかのぼると、どうしても西洋とバッティングする部分が出てくるようでして、20世紀後半以降・現在までの中国現代史は、そういう見方もできるのではないかと感じました。
20世紀の日本外交の失敗
五百旗頭:20世紀になって、いちばん大きなことは大陸に接してしまって、進出した先が日本とは全然違う社会だったという点ですね。さらには、地政学的、地形学的にはたとえば朝鮮と遼東半島みたいに連なっていて、さらに満洲国をつくると北支と呼ばれる華北がまた連なっている。それで、どんどん不慣れな地域に入り込んでしまうことになった。
同時に日本国内で見ると、論点が際限なく源泉にさかのぼっていくという習性の弊害が出てきます。1つの論点に絞って徹底的に議論せずに、より重要な源泉はこれだという、別の論点を持ち出すことで優位に立つという議論の型が染みついてしまって。それが政党政治にはマイナスだった気がしますね。
というのも、政党政治でそれをやると、農村の経済をどうよくするんだという議論をするときに、いや、地方分権のほうが大事だとか、やっぱり中央が責任を持ってとか、わかりやすい国家観や権利義務の話に流れてしまう。政友会の地租移譲と立憲民政党の教育費国庫負担の華々しい論争は象徴的です。視野に広がりがあるともいえるのですが、こればかり政党間でやられると、苦しんでいる農村から見れば、ごまかしにしか見えない。
より重要な論点を探し求める議論の型は、国民国家形成の総合化には成功しますが、政党政治の政策論争は流動化させてしまったというのが、極東の島国としての運命だったという気がします。
岡本:たしかに「極東の島国」ならではで、半島・大陸のもつ地政学的な位置・発想に思い至らない体質があるようです。国内の「論点」がひろがりつつ、ずれるように、対外的な国益の焦点も、ひろがりつつずれるというか、ぼやけていくといった感じでしょうか。
20世紀になると、日本は朝鮮半島から満洲、満洲から華北、さらには南方のほうに行くのですが、日本としては本当に余裕がなくて、朝鮮半島をなんとか確保したと思ったら、満洲という新しい要素を考えないといけなくなったというのが、たぶん正直なところでしょう。当初のマスタープランには、満洲なんてまったく入ってなかったと思います。そこのあたりから歯車が狂い出したのではないでしょうか。
もっとも、朝鮮半島をどうするかについてすら考えていなかった気もしますので、要するに西洋のことは総合的に理解できても、隣国の近い人たちのことを実はよく理解できていないことが、大きかったと思いますね。
五百旗頭:たしかに、隣国については、われわれ自身がどう考えているかもよくわからない。
岡本:そうだろうと思います。とくに相手をどう考えるかということですよね。
五百旗頭:そうですね。相手がわからないと鏡としての自分もわかっていないことになる。両方同時にわからなければいけないのですが。
岡本:まだ中国はモデルとし、コピーした律令時代からずっと付き合いがあって、それなりに見えていますけれども、朝鮮半島は頭越しといいますか、ほとんどそういう付き合い方ばかりでした。立ち入ったのは植民地時代のみ、これも性急な日本化に終始して、相手のことを見ない、理解しないままの三十数年だったような気がします。戦後はその反動ばかりですので、まったく見えていない、理解できない部分がほとんどかもしれません。
五百旗頭:中国以上の中華主義というか、小中華主義ですね。
岡本:ええ。そういった考えや価値観がどこから始まって、どのように作用しているかといったことを、日本人はほとんどわかっていない。もちろん私自身もなんですけど(笑)。結局、儒教や中華思想といったものについて、日本人はわかっていないんですね。