江戸中期「中国離れ」が現代日本人の基礎を作った アイデンティティを左右した「中国との距離感」
16世紀のグローバル化で一新した日本
現代につながる世界史は、16世紀・ヨーロッパの大航海時代にはじまります。それまでユーラシアの世界史に関わりの稀薄だったアメリカ大陸がつながって、地球の一体化が促されたからです。その動きは直接には、環大西洋革命・産業革命・世界経済の形成になり、またその西洋・欧米がほぼ全世界を制覇したわけですので、今も進行中の「グローバリゼーション」の幕開けともいえるかもしれません。
そうした世界史上の大航海時代は、東アジアにも及んできました。いな、当時の中国の経済発展と国家体制こそ、その大きな牽引力の1つとみえるほどです。シルク・茶・木綿などの特産品を供給し、閉鎖的な通商統制の権力意思をつきやぶって、海外から商人たちをひきつけ、銀を吸収し続けました。前回にみた、いわゆるシナ海の「倭寇的状況」です。これが東アジアの変貌をももたらしました。
何といっても「倭寇」ですから、もちろん日本も例外ではありません。列島におよんだ影響は、日本史上の「中世」から「近世」への転換、内藤湖南のいわゆる「身代の入れ替わり」でした。戦国乱世・南蛮渡来・天下統一という16世紀以降の政治史に、それは顕著です。
戦国から統一という政治過程は、同時に経済上の大開発の時代でした。その余波は江戸時代の初期、おおむね元禄あたりまで続きます。耕地は倍、人口は3倍になり、都市と農村が勃興し、日本はまったく面目を一新したのです。
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