「1回の失言で政権交代招いた」ある政治家の失態 「とうとう東京渡辺銀行が破綻しました」

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経済界の混乱と政権交代をもたらした政治家の失言とは?(出典:『偉人しくじり図鑑 25の英傑たちに学ぶ 「死ぬほど痛い」かすり傷』(秀和システム))
昭和2年(1927)、たった1つの失言で経済界の大混乱だけでなく、与党の政権交代を招いた政治家がいた。その問題発言の内容とは? テレビでもおなじみ歴史研究家の河合敦さんの新刊『偉人しくじり図鑑 25の英傑たちに学ぶ 「死ぬほど痛い」かすり傷』(秀和システム)より一部抜粋・再構成してお届けする。

1920年代、銀行を襲った2つの恐慌

大正3年(1914)に勃発した第一次世界大戦のとき、日本は大戦景気と呼ぶ空前の好景気(大戦景気)を迎えた。輸出が一気に伸びたのである。

ヨーロッパ諸国は主戦場となり、ヨーロッパ資本は中国などアジア市場から引き上げていった。その穴を埋めたのが日本企業であり、綿糸などを大量に中国などへ輸出した。

また、ヨーロッパ諸国は、日本からの軍事物資を膨大に買ってくれた。さらに日本同様、戦争景気にわくアメリカも、日本産の生糸を大量に購入してくれたのである。

このように、アジア、ヨーロッパ、アメリカへの輸出を一気に拡大した日本だったが、大正7年(1918)に戦争が終わると、ヨーロッパは軍需品を必要としなくなり、アメリカの好景気も終息を迎えてしまった。

しかも、アジア市場に優良なヨーロッパ企業が戻ってきた。このため、日本の輸出量は縮小し、主力品の綿糸や生糸の値段は暴落、株価も大暴落してしまう。こうして大正9年(1920)に戦後恐慌が起こったのである。

このおり政府は、日本銀行を通じ、大企業に多額の救済融資をしたが、中小企業にまではなかなか手が回らず、多くは没落していった。さらに不運なことに、大正12年(1923)に関東大震災が発生した。これにより首都圏は壊滅状態となって、総被害額は55億円以上にのぼり、震災恐慌が到来してしまう。

時の第二次山本権兵衛内閣は、支払い猶予令(モラトリアム令)を発して、債務の履行を30日間猶予するという救済措置をとった。さらに、震災手形割引損失補償令を出して、銀行の不良手形(震災手形)を日銀が再割引することにしたのである。日銀の損失は、1億円まで政府が補填することに決めた。

ただ、再割引の条件が厳しかったこともあり、銀行が保持する震災(不良)手形は昭和元年(1926)末まで2億円以上が未決済だった。このため各銀行は経営難に苦しんでいた。

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