「1回の失言で政権交代招いた」ある政治家の失態 「とうとう東京渡辺銀行が破綻しました」
そこで、時の若槻礼次郎内閣(憲政会を与党とする内閣)は、昭和2年(1927)3月3日、震災手形を処理しやすくする2つの法案を、衆議院本会議に提出した。
しかし、野党の立憲政友会などが「この法案は税金を使って、一部の企業だけを救おうとするものだ」と強く反発、大荒れとなった。その過程で、銀行の経営状況の悪さも明るみに出てしまう。ただ、どうにか法案は翌4日に衆議院本会議で可決され、貴族院へ回付された。
片岡直温のとんでもない「大失言」
3月14日、衆議院の予算総会の場において、片岡直温蔵相は法案の説明をしていた。これに対して、野党・立憲政友会の吉植庄一郎議員から「銀行が破綻した場合に、政府はいかなる手段を取るのか」という質問を投げかけられた。
自伝で片岡は「極めて抽象的なる質問を試み、得意の毒舌を振ふて、毫も(少しも)仮借するところがなかった」(片岡直温著『大正昭和政治史の一断面 続回想録』西川百子居文庫)と立腹しているが、質問内容を読んでもあまり違和感は覚えない。
ただ、片岡にとっては、攻撃的に聞こえたのかもしれない。それで動揺したのか、この質問に対する答弁で、片岡直温蔵相は、信じられない言葉を発した。「今日の正午頃、とうとう東京渡辺銀行が破綻しました」と言ったのだ。
銀行の経営が危ないと噂されているさなか、なんでそれを言ってしまったのか、もうちょっと訳がわからない。思わず焦ったのだろうか。
高知県出身の片岡は、小学校の教員から滋賀県警察部長を経て、内務省に入るという異色の経歴の持主である。政府を下野した後は、日本生命保険会社や都ホテルの社長として実業界で力をふるうとともに、政治家としても活躍、第二次加藤高明内閣の商工大臣を経て若槻内閣の大蔵大臣に就いた。それまでは政治家として、とくに瑕疵はなかった。だからこそ、意外な言動といえた。
ともあれ、失言の数時間前、東京渡辺銀行の重役が大蔵省に来て、決済ができなくなって破綻に瀕している事実を報告し、あわせて大蔵省に支援を求めたのである。
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