坂之上:中貝さん、「いのちへの共感に満ちたまちづくり条例」という条例って、どんなものなのですか?
中貝:きっかけはDV(ドメスティックバイオレンス)に関する女性議員の質問と、一部の地域であった部落差別の歴史でした。
坂之上:具体的には?
中貝:僕は人権という言葉があまり好きじゃないんです。「人権というものは憲法が定めた権利で、人類普遍の権利で……」っていったところで、その時はわかったようにフンフン聞くかもしれないけれど、だからって、それはハートには響いてませんよね。
坂之上:難しい言葉はハートに響きにくいですよね。
中貝:僕の命はたった一つだから、僕にとってすごく大切なものです。だから、あなたの隣にいる他者の命だって、本人にとってすごく大切なんです。隣にある命に対して、なんていうか、尊敬の気持ちというか尊重の気持ちが、人々の心の底から出てきてほしいなと思いました。
人の命は統計上の「数字」じゃない
中貝:ちょうどこの条例を検討していた時に東日本大震災が起きました。あの時、たぶんみんな、命について思ったはずなんです。あの人が、お母さんが、子どもが死んでしまった。大勢の人が泣き叫んでいる。あの時ほど人の命に対して、日本中の人が思いを寄せたことは、近年なかったはずです。
人の命や死というのは、統計上の数字なんかじゃないんです。お一人お一人に名前があって、お一人お一人に人生があったわけです。
坂之上:ひとり、ひとり。
中貝:はい。その命への共感を、まちづくりの一番の基礎、このまちの哲学として、条例という形でまとめて、豊岡の土台に据えたいと思いました。命への共感に満ちたまちを作りたいと。
坂之上:市民の気持ちの土台として?
中貝:はい。でも、これすごく地味なんですよね。この条例でなにが変わるのかって言われたら、目に見えて違ってくるわけではない。
坂之上:でも、そういう気持ちの土台が、条例として町にあるのとないのとでは、たぶん何かが、大きく違うんじゃないかって、お話を聞いていて強く感じました。
(構成、撮影:石川香苗子)
※ 後編は10月13日(月)に掲載します。
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