西武ドームが野球好きに愛されるワケ 12球団のホームグラウンドへ行ってみた<9>

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そしてこのゴージャスシート群の少し上、外野席用スコアボードの隣の硝子張りの部屋が、堤義明氏が自分の観戦用に作った、通称「堤部屋」。現在はこのエリアの年間シートホルダーが優先的に使える「スイートルーム」として、1試合16万円で貸し出されている。

スコアボードはけっこう大きめだが、表示コンテンツは球速、打率、本塁打数に打点が加わっている程度なのできわめて平凡。専属チア・ブルーレジェンズの業務量は若干多めだ。グラウンドでは、ゲーム開始20分前のパフォーマンス、初回西武の選手が守備に着く際の送り出し、6回表前のタオル体操、ラッキーセブンのジェット風船飛ばしの際の盛り上げだけ。西武が勝てばゲーム終了後にもう一仕事あるが、これだけだと標準より少ない。

だが、屋外ステージで1ステージ踊っているし、その前は駅前広場の遊園スペースで子供の相手をし、さらに3回に客席を回って子供とハイタッチをしている。

そしてこの球場最大の魅力が、ゲーム終了後にだれでもフィールドに入れること。シーズン中にいつでもだれでも入れるのはここだけ。グラウンドでプレーする選手から、スタンドがどう見えているのかがわかる。

平和台球場の現状は?

最後にこの球団の前身・西鉄ライオンズの本拠地だった、福岡・平和台野球場跡地の現状についても触れておきたい。西武ドーム内には西鉄ライオンズ伝説のピッチャー「神様仏様稲尾様」こと稲尾和久と、西鉄ライオンズの優勝プレートが掲げられている。だが、その神様を生んだ聖地平和台野球場跡地には、かつての球場入口付近に、球団OBのカンパで設置された小さなモニュメントがあるだけだ。

平和台野球場跡地は福岡城址公園内にある。ここに古代の貴重な遺跡が埋まっていることは大正期にはわかっていたのに、まず江戸時代に黒田長政が城を建てて破壊し、明治になってからは練兵場が出来てさらに破壊。戦後は球場が出来てまたもや破壊。漸く球場の取り壊しが決まり、本格的な発掘作業を始まったのが1987年。考古学者にとって球場は破壊者でしかない。

だからなのか、昨年この地を訪れたときは、ここが福岡市民を熱狂させた球場跡地である痕跡はどこにも残されていないという、何ともやりきれない状態だった。

だが、今年は大河ドラマ「軍師官兵衛」ブームに乗って、敷地内の博物館「福岡城むかし探訪舘」でフェアを開催。この影響で、発掘作業中の敷地のフェンス沿いに、地元の名士の説明ボードと並んで平和台野球場のボードも掲げられた。フェアが終わればまた撤去されてしまうのだろうが、ほんの少しだけでも“球場の霊”は慰められたのではないかと思った次第だ。

伊藤 歩 金融ジャーナリスト

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いとう・あゆみ / Ayumi Ito

1962年神奈川県生まれ。ノンバンク、外資系銀行、信用調査機関を経て独立。主要執筆分野は法律と会計だが、球団経営、興行の視点からプロ野球の記事も執筆。著書は『ドケチな広島、クレバーな日ハム、どこまでも特殊な巨人 球団経営がわかればプロ野球がわかる』(星海社新書)、『TOB阻止完全対策マニュアル』(ZAITEN Books)、『優良中古マンション 不都合な真実』(東洋経済新報社)『最新 弁護士業界大研究』(産学社)など。

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