おそらく、英語を使えるようになることは多くの方にとって目標だったり、目標にしつつ挫折した経験があるものではないかと思います。私も社会人になった時点ではビジネスで英語が使えるという状況ではありませんでしたが、あるきっかけがあって TOEIC でコンスタントに900点以上取れるだけでなく、実際に海外との仕事で英語を使うことが当たり前になりました。
そのきっかけとは、当時私が勤めていた会社にあった、海外研修員として欧米のビジネススクールに会社の費用で毎年1人が派遣され、MBA を取らせてもらえるという制度。実際にMBAを取った人の話を聞いたり、読んだりした体験が、自分もそうなりたいという強い動機付けになったのですが、その副産物として英語が使えるようになることも同時に目標となりました。
この研修派遣制度に複数年にわたって制度がなくなるまで応募し続け、結果的には毎回最終の社内役員面接で選考に落ちMBAをとることはかないませんでした。その意味でMBAを取る目標は未達に終わりましたが、本気で留学するつもりでいましたので、社内選考の英語の基準をクリアするだけでなく、少しでも実際に使えるようにと、精力的に英語を勉強したことをよく覚えています。
人気海外ドラマに自分の姿を重ね合わせた
そして、この制度の最後の選考に落ちてがっかりしていたタイミングで、海外との仕事をする機会が偶然に舞い込み、それまで勉強してきた英語を実際に使って仕事をするというチャンスを得たのでした。
ちょうどその頃に好んで見ていたNHKの海外ドラマの舞台が留学の第一志望校の街で、行ったことはないですが映像で映し出される街の様子に自分の姿を重ねることで、モチベーションが上がったことを覚えています。留学中の自分が、大変ではあるだろうけれど充実した日々を送っている姿を、ドラマのイメージも借りてリアルに想像することは、継続するための大きな原動力でした。
結果的には、当初のゴールではないところで目標達成の努力が生きることになりましたが、担当した海外の仕事では、おそらく一生の友人となる仕事仲間に恵まれ、家族ぐるみの付き合いが続いています。やや余談にはなりますが、こうした一過性ではない目標達成の「報酬」があることも、次の目標に向かう気持ちを高めてくれる原動力になっています。
もう1つの例は、まさにこの連載のテーマである人生の後半にかかわることです。
私は50歳前後で会社を辞めることを30代の半ばに目標としたのですが、そのきっかけとなったのは、当時私が仕事で関わっていた NPO に転職してきた50歳の女性の存在でした。詳細は、以前の記事(50歳手前で「早期退職」に踏み切れた3つの理由)に書いているので、そちらを参考にしていただければと思いますが、有名外資企業に勤めていた同氏がNPOに転職した理由を、将来的に新たなキャリアを築くのに50歳からなら新しいことができる、と言ったことに衝撃を受けました。
私は当時30代の半ばでしたが、社会人としては浪人や留年で3年遅れのスタートで、出世など従来型のキャリアパスを考えた時にはハンディになると感じていた時期でした。また、私自身も仕事が好きで、当時60歳に設定されていた定年で会社を退職した後、どのような人生を送れるだろうかと、漠然と不安に思っていました。
無料会員登録はこちら
ログインはこちら