「本当は必要のない仕事」が多すぎる歴史的理由 「クソどうでもいい仕事」はこうして生まれる
「働きすぎ」はなぜ生まれる?
グレーバーのテキストのなかに「不要な仕事」という問題設定は、かれの知的キャリアのその初期からすでにあらわれていました。現代世界は「不要な仕事」によって危険なくらい肥大化し、それによって人々は働きすぎで押しつぶされている、といった問題設定です。
これからみていくように、資本主義市場がムダな仕事をつくるわけがないという信憑や、あるいは仕事はたくさんあるにこしたことはないという発想は、政治的立場を問わずおおよそ自明の前提です(「雇用創出イデオロギー」につながっていく考えです)から、こうした発想自体、いくぶんかはユニークです。おそらくここには、エコロジーやフェミニズム、アナキズムなどの影響があるようにおもいます。
そのような初発の問題設定は、ある程度まとまったかたちでは、著作『アナーキスト人類学のための断章』であらわれます。グレーバーはそこで、まず1920年代に勢いのあったアメリカの労働運動IWW(世界産業労働者組合。ウォブリーズとも呼ばれます)が、もともと1920年代に推進しようとした、一日4時間、週4日労働の要求をあげて、これは実現可能なのではないか、というふうに問いを立てています。
だがいったいどの仕事が真に必要な職種なのか?
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