「本当は必要のない仕事」が多すぎる歴史的理由 「クソどうでもいい仕事」はこうして生まれる

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第一に、その消失が人類にとって有益であると、ほとんどだれもが賛成するであろう仕事が数多くある。テレマーケター、企業顧問弁護士などである。
さらにまた、わたしたちは広告業界の全体をお払い箱にすることもできるだろうし、すべての政治家たちとそのスタッフを免職し、健康維持機構HMO(Health Maintenance Organization)に多かれ少なかれ関与している人員を駆逐したとしても、杜会的機能の中枢に支障はない。それに広告業をお払い箱にしてしまえば、不要な生産品の生産、配送、販売の縮小につながるだろう。
人々が実際に必要としたり欲しかったりする物品については、かれらはそれでも入手する方法を考案するだろう。はなはだしい不平等が是正されるならば、軍隊はいうに及ばず、ドアマンや民間警備隊や刑務所監視員として雇用されている無数のサービスはもはや必要なくなるだろう。
それ以上のことについては、さらなる研究が必要である。金融業者、保険業者、投資銀行家などはすべて本質的に寄生的存在である。だがこれらの領域のなかにも、単純にソフトウェアが代行することができない有用な機能があるかもしれない。結局われわれにとって快適で、地球環境的に維持可能な生活基準を維持するために必須の仕事を特定し、それにのっとって時間を再分配するならば、ウォブリーズの綱領はまったく現実的であったことがあきらかになるかもしれない。
ことにここで考慮に入れねばならないのは、だれもそうしたくなければ、4時間だけで仕事をやめなくてかまわないということだ。たくさんの人々がみずからの仕事に満足している。たしかに一日中なにもせずにぶらぶらしているよりましである(だからこそ刑務所においては、囚人への懲罰として仕事をする権利が剥奪されるのだ)。
またトップダウンの組織化には不可避についてくる、はてしのない屈辱とサドマゾヒズム的ゲームを根絶することができるなら、そこからさらに多くのことが可能になるだろう。だれもじぶんがのぞむ以上に働く必要がない、ということさえ可能かもしれない。


ここでは、『ブルシット・ジョブ』でとりあげられるテーマのかなりがすでに出そろっています。

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