「本当は必要のない仕事」が多すぎる歴史的理由 「クソどうでもいい仕事」はこうして生まれる
逆にいうと、少なくとも現存の資本主義システムにおいては、本来手段であるべきものが目的となっている、つまりお金の獲得が目的になって、いつもあすどれほどじぶんの富が増大しているか、あるいはあす食えているかを心配しては、いまを楽しむことができなくなっているといっているわけです。
さて、先ほどあげたグレーバーの小論からの引用においては、ケインズは「20世紀末までに、イギリスやアメリカのような国々では、テクノロジーの進歩によって週15時間労働が達成される」と予言しているとされています。そのうえでこのエッセイを読んでみるならば、たしかにケインズは「一日3時間労働や週15時間労働」ですむようになっているといっています。
しかし、これは100年後であってもそのぐらいの労働はそれでも必要だろうということではなく、本当は週15時間すらも必要ないのだけれども、労働を原罪として課せられたあげく、人生の時間のほとんどを労働に捧げてすごすようになった哀れな人間には、当面、それぐらい働かせて徐々に慣れさせないとノイローゼでやられてしまうだろう、といっているのです。
記事をマイページに保存
できます。
無料会員登録はこちら
ログインはこちら
印刷ページの表示はログインが必要です。
無料会員登録はこちら
ログインはこちら
無料会員登録はこちら
ログインはこちら