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「本当は必要のない仕事」が多すぎる歴史的理由 「クソどうでもいい仕事」はこうして生まれる

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それゆえ、わたしたちは、宗教や伝統的美徳のうちでもっともたしかで堅実なる諸原則のいくつかに立ち戻ることができる。
つまり、貪欲は悪徳であり、高利の取り立ては悪しきおこないであり、金銭愛は軽蔑すべきものなり、将来をおもんぱかることもっとも少なき者こそ、もっともただしく徳と正気の叡智の道を歩く者なり、とこういった原則である。
わたしたちはふたたび手段より目的を重視するようになり、利便より善なるものを好むようになるであろう。時間というもの、一日というものを、徳をもってうまく活用する方法を教えてくれる人を尊ぶようになる。ものごとを直接に楽しむことのできるよろこばしい人々、労役もしないしつむぎもしない野の百合のような人々が尊敬されるのである。

 

逆にいうと、少なくとも現存の資本主義システムにおいては、本来手段であるべきものが目的となっている、つまりお金の獲得が目的になって、いつもあすどれほどじぶんの富が増大しているか、あるいはあす食えているかを心配しては、いまを楽しむことができなくなっているといっているわけです。

『ブルシット・ジョブの謎 クソどうでもいい仕事はなぜ増えるか』(講談社現代新書) 。書影をクリックするとアマゾンのサイトにジャンプします。

さて、先ほどあげたグレーバーの小論からの引用においては、ケインズは「20世紀末までに、イギリスやアメリカのような国々では、テクノロジーの進歩によって週15時間労働が達成される」と予言しているとされています。そのうえでこのエッセイを読んでみるならば、たしかにケインズは「一日3時間労働や週15時間労働」ですむようになっているといっています。

しかし、これは100年後であってもそのぐらいの労働はそれでも必要だろうということではなく、本当は週15時間すらも必要ないのだけれども、労働を原罪として課せられたあげく、人生の時間のほとんどを労働に捧げてすごすようになった哀れな人間には、当面、それぐらい働かせて徐々に慣れさせないとノイローゼでやられてしまうだろう、といっているのです。

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