「最安値を求めてネット検索」が不幸につながる訳 現代人が陥りがちな「人生をダメにするワナ」

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というわけで、仕方なく名刺作りにとりかかった。

頼りはもちろんネットであります。価格を比較するのにこれ以上便利なツールはないよねほんと。で、今さらながら、改めてびっくりこいてしまった。「名刺」「安い」で検索したら。出るわ出るわ! 信じられないような安値のオンパレードである。

なるほどネット社会とはすんごい競争社会でもあったのだ。1枚5円以下なんてのがあって驚いていたら、そんなの序の口。2円以下なんていうのもあるじゃありませんか。ああなんてありがたいんでしょう! 多種多様の業者が価格の安さと仕上がりの早さを競いまくっていて、目移りしている間にあっという間に時間が過ぎていく。

でもそうやってホクホクと各社のサイトに次々アクセスしていくうちに、どうも落ち着かない気持ちになってきた。

そもそもが安いので、ほとんどミクロの戦いである。調べれば調べるほどに、各社の努力と苦労がしのばれるのであった。次第に、いったいこんな値段でどうやってモトを取るのだろうかと心配になってくる。

……いやいやいや、そんな人様の心配などしている場合じゃないでしょ! 今はとにかくシビアに比較! ちょっとでもおトクに!

だが。一度生じてしまった疑問はなかなか去って行かなかった。

このミクロの戦いを繰り広げる人々の苦労が、他人事とは思えなくなってきたのである。彼らは明日の私であった。世間の荒波に生身をさらし、厳しい競争社会の只中をどうにかして生き残らねばならないのは、会社という大きな後ろ盾を失ったこれからの私そのものなのである。それはもはや「人様の心配」じゃなかった。「私の心配」なのだった。

「合理的な行動」の結果、損をする人の存在

そう気づいてしまったら、もうダメだった。少しでも安いものをとガツガツクリックすればするほどに心は沈んだ。クリックした画面の向こう側に、働けど働けど買い叩かれて楽にならず、暗い顔でじっと手を見る「誰か(=明日はわが身)」の姿が透けて見えるようだった。

私はこれからそんな暗い競争社会をたった一人で生きぬいていかなきゃならないのだと思うと、今さらながらに背筋が凍った。

そうこの時、私は生まれて初めて、自分の合理的な行動、すなわち「同じものを買うなら一円でも安く」という行動の向こう側で何が起きているかを真剣に考えたのである。

確かに、私はトクをする。でもその先では、誰かが損をしている。私の行動は、何かとてつもなく暗いものにつながっているんじゃないだろうか? そしてその暗いものの先には、間違いなく自分もいるんじゃないだろうか? 

つまりは自分が生き残るために、自分のささやかな幸せのためにと懸命にやっていることが、もしかするとほかでもないその自分を不幸にしかねないんじゃないだろうか?

でも、じゃあいったいどうしたらいいんだ? 出口はどこにも見当たらなかった。私はどこまでも孤独だった。

(第35回につづく)

稲垣 えみ子 フリーランサー

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いながき えみこ / Emiko Inagaki

1965年生まれ。一橋大を卒業後、朝日新聞社に入社し、大阪社会部、週刊朝日編集部などを経て論説委員、編集委員をつとめる。東日本大震災を機に始めた超節電生活などを綴ったアフロヘアーの写真入りコラムが注目を集め、「報道ステーション」「情熱大陸」などのテレビ番組に出演するが、2016年に50歳で退社。以後は築50年のワンルームマンションで、夫なし・冷蔵庫なし・定職なしの「楽しく閉じていく人生」を追求中。著書に『魂の退社』『人生はどこでもドア』(以上、東洋経済新報社)「もうレシピ本はいらない」(マガジンハウス)など。

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