もちろん、リアル店舗であっても同じことだ。同じものを買うなら当然、値段が安いほうを選ぶ。こうした消費行動は、今や当たり前にわれらの標準仕様となった。
え、そんなの昔からそうだろうって? いやね、これがそうでもないんだな。私が子供の頃(半世紀前)は、買い物とは基本的に近所の馴染みの相手から買うものだった。わが母も、いつも行く八百屋に申し訳ないからと、ちょっと足を伸ばしてスーパーへ行くことを遠慮していた。
子供心に「どこで買おうと自由じゃん。ヘンなの!」と思っていたけれど、当時は「付き合い」とか「義理」ってものの優先順位が今よりずっと高かったんだよね。
でも昨今は、そんなことやってる人はほぼ誰もいない。そんな余裕はないんである。
われらが政府がここ何年も「成長なくして分配なし」だの「分配なくして成長なし」だのとマジナイのように唱え続けているということは、要するにわれらは容易には成長しえない社会の中をどうにか生き抜かねばならないということでありまして、それはもはや子供でも知っているミもフタもない真実だ。
となればこの先収入が増えるなどと当てにできるはずもなく、無駄金など1円でも使ってる場合じゃない。しっかり情報を集め、おトクなものを逃さず、一言で言えば「コスパ最高」ライフを送らんと、そこに少なからぬエネルギーを注ぐのが真っ当な現代人の人生というものなのである。
で、当然のことながら私もそうやって生きてきたわけです。
会社を辞めて「経費節減」に励んだら
そしてそのような生活態度は、会社を辞めることになってさらに切羽詰まったものになった。
だって何度も書きますが、会社を辞めるとは給料が1円ももらえなくなるということであり、それは経験したことのない非常事態にほかならなかった。となれば当然「無駄金」を使うことにはこれまで以上に厳しく目を光らせねばならなかった。それは、なんとかして人生を生き抜くためのマジで喫緊の課題となったのだ。
そしてやってみて初めてわかったんだが、これはもうまったく簡単なことじゃなかった。何しろ必死に節約しなきゃならないにもかかわらず、会社を辞めた途端になぜか自動的に支出が増えまくってしまうという、「泣きっ面にハチ」としか言いようのない恐ろしい事態が待ち受けていたのだ。
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