……なんてことを人様に話すと、「東京のど真ん中でそんなことが?」と盛大に驚かれるんだが、誰よりも驚いているのは私です! いったい何が起きたんだ。あげればその分、お返しがくるというのはわかる。
しかしこれはどうもそのようなことではない。あげる時ともらう時の時間のズレがありすぎるし、そもそもあげていない人からももらっている。古典的な経済学では解明できない不合理なやりとりである。
しかしそんなことを考えている間にも、どんどん物事はエスカレートしていくのであった。
喫茶店に行けばお客さんからの差し入れのケーキや果物のおすそ分けにあずかる。近所の町中華に行けば帰り際にチョコレートや団子を持たされる。たまたま知り合った人にブランドものの洋服をドンともらう。
さらにわが家の「おかず」をつくってくれる人は増殖する一方で、銭湯友達のおばあさまだけでなく、例のバルの奥様はじめ、米屋の奥様、人を介して知り合った近所の料理好きの奥様も、なんだかんだとおいしいご飯を持ってきてくださるようになった。
特製カレーやら煮物やら茹でた栗やら松茸ご飯やらアワビの煮物やら特製ジャムやら、予測不能のめくるめく世界! 余談だが、コロナ第5波で病床逼迫に人々が震撼していた時も、私、これなら自宅療養になっても少なくとも食べるものにはまったく困らないナと思ったものである。
資本主義とはまったく違う「地下経済」?
そして、当然このようなことになればこちらもこれ幸いと、例の「もらってくれる人リスト」にこうした方々を加えることができるわけでして、持て余したものをせっせと運ぶ先が増えて誠にありがたい……などど言っているうちに、ふと気づけばこのようなやり取りはすっかり日常化し、この世を支配している資本主義経済とはまったく違うパラレルワールド、いわば「地下経済」のようなものが、わが暮らしに脈々と根付き始めているではないか!
それは、実に不思議な世界であった。
第1に、お金のやり取りはない。やり取りされるのはあくまで「モノ」である。そして一旦始まると、やり取りはエンドレスに続く。
第2に、何がいつやり取りされるかはまったく予測がつかない。つまりは等価交換ではない。何もあげていなくても突然もらえることもあるし、逆に、せっせとあげていても何も返ってこないこともある。でもそんなことは誰も気にしちゃいないのが妙である。そしていずれの場合も、もらう方もあげる方もなんだか嬉しそうである。
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