穴だらけの「子供にネット与えるな」論 倉敷誘拐事件が起きたのはケータイのせいか
もう先々週の話になってしまうが、新潟県青少年健全育成県民大会というのに呼ばれて、青少年のつながり依存について講演してきた。この講演を最初にやったのは、今年1月の内閣府主催「青少年のインターネット利用環境づくりフォーラム」だったのだが、これがなかなか評判がよく、いろんなところからあの講演をやってくれと依頼が来るようになった。もう今回で4回目ぐらいである。
さてこの青少年健全育成県民大会というのは、現役の保護者やPTAではなく、いわゆる「なんとか育成会」クラスの方々が集まる会のようで、全体的に年齢層が高かった。
育成会にはいろんなパターンがあるのだが、一般的には元PTA役員などが、すでに子供は大きくなって学校から離れてしまったけど、地域の有識者として学校や子供達に貢献したいという主旨で集まったものであることが多い。さらにスポーツの振興会とかと一緒になったりするケースもあって、本当に色々である。
ケータイを持たせたから、事件に巻き込まれた?
ネット依存の中でも、ゲームや動画などのコンテンツへの依存と、SNSやLINEのようなコミュニケーション依存とは、ハマる原因が違うため、厳密に区別しなければ対策ができない。特にコミュニケーション依存は、人とつながるということがメインなので、「家庭」よりも「社会」が関係する。大人社会のあり方と子供社会のあり方の双方が影響しているために、背景を探っていくとなかなか複雑だ。
この講演では、米国で進んでいるSNSの依存研究と、日本で行なわれている依存研究のいいとこ取りをしながら、今子供の社会はどうなっているのかを考えるというものである。
1時間半のうち、だいたい1時間15分ぐらいで講演し、残りは質疑応答となった。時間が短かったので質問者は2人となってしまったが、そのうちの1人、60~70代に見える年配者男性の質問が興味深かった。
曰く、「倉敷市の女児誘拐事件では、子供の携帯にGPSが付いているからと安心したから、未だ発見できていない。それなら携帯を持たせない方がよかったのではないか」(大会当時はまだ女児は発見されていない)。
これは、我々の世代ではなかなか出てこない発想である。問題を整理すると、次のような点が見つかる。
1. そもそもニュースへの理解が不十分
2. ひとつの事例だけで全体を判断しようとしている
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