穴だらけの「子供にネット与えるな」論 倉敷誘拐事件が起きたのはケータイのせいか

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もうひとつの誤りは、原因と想定されるものを取り上げれば解決すると考えていることである。コミュニケーション依存は、子供社会の構造が後押ししている。したがって、ひとつの問題の出口を塞いでも、それはまた別の出口から噴出するだけである。

大半の年配者は、ネットでのコミュニケーションを必要としない世界で生きている。リアルのコミュニケーションが中心で、通信機器は多少それを便利にする程度のものでしかない。それは、昔はなくても平気だったものだ。したがってそれを排除してしまえば、子供社会も古きよき時代が復活すると考えている。因果関係の理解が、逆なのだ。

ケータイを取り上げても、子供社会は変わらない

実際は、まず大人社会がバブル崩壊によって経済成長が停滞し、社会全体に閉塞感が生まれた結果、子供社会に影を落とした。その歪みが、他者への手厚いコミュニケーションとして噴出しているというのが、社会学的な解釈である。つまり社会の構造変化はすでに起こってしまっており、ケータイを取り上げたぐらいで元に戻るようなものではないのである。

今の社会では、一事が万事のような考え方は、合理性を失っている。十分に情報があり、収集手段もある。多くの人の個人的な論考も探せるようになったため、相対的にノイズも増えているが、ボリュームがでかいということは、同時に情報の層の厚みも産みだしている。

たったひとつの事例を錦の御旗に強行突破しようとする論陣に対しては、多面的なデータによる反論が有効だ。ただ、膨大なデータをすべて正確に頭に入れておくことはできないので、どうしてもリアルの議論の場では不利になる。

これからは、年齢層を広くまたいだ議論の進行の仕方も、今の社会のありように合わせて変化させていく必要がある。たとえば多くのシンポジウムで行なわれるパネルディスカッションでは、リアルタイムの議論であるため、事前に準備していなければ、その場でデータを拾い出してくる時間はない。したがって予定調和的になるか、破綻して収集がつかなくなるかのいずれかである。

むろんたいていはみな大人なので、コーディネーターに協力してくれるわけだが、来場者の中でわざわざ手を上げて意見を言うタイプの人は、単に文句が言いたい人であるケースが多い。特に議論について行けなかった人は、内容に関係なく自分の論をぶちまける傾向があるので、やっかいだ。

こういう人をどうあしらっていくかもひとつの勉強だし、世代が違う、情報リテラシーが全然違うという人たちにもわかってもらえるようなデータの出し方というのも、ひとつの研究テーマとなり得るだろう。

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小寺 信良 映像技術者、コラムニスト

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こでらのぶよし / Nobuyoshi Kodera

コラムニスト/映像技術者/インターネットユーザー協会代表理事。1963年宮崎県出身。テレビ番組の編集者としてバラエティ、報道、コマーシャルなどを手がけたのち、ライターとして独立。AV機器から放送機器、メディア論、子供とITの関係まで幅広く執筆活動を行う。主な著書に「Ustreamがメディアを変える」(ちくま新書)、「子供がケータイを持ってはいけないか?」(ポット出版)など。WEBではAV Watch、ITmedia、価格.com にてコラムを好評連載中。夜間飛行より毎週金曜、メールマガジン「金曜ランチボックス」を発行中。

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