日本は山紫水明でとても清潔な国 平和で美しい原風景を、教養の源泉に

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私には困った習性がひとつあります。移民系の若者たちが観光地で必ず物売りをしているのですが、彼らを遠目にじっと観察してしまうことです。アテネの真夏に、市内観光バスの下で売る帽子や、遺跡の入り口で売る水は唯一売れていて安心しましたが、エッフェル塔で売るエッフェル塔の飾り物や、その他の観光地や駅校内で売るスカーフや偽物のブランドバッグ、絵画などは、売れているのを見た試しがありません。

彼らは数年前の、そして現在と数年後の私の息子と同じ年代です。偶然に生まれついた国籍で、希望が持てない、その日を暮すのがやっとの仕事しかつけないのです。スカーフが1枚売れたとしても、その価格からして彼らの取り分でサンドイッチ1個は買えません。それでも売り場に立つしかない青年たちは、その日の糧を得るために懸命です。

背後に何らかの組織があって、食べられるようにはなっているのかどうかは知りませんが、スリに走らず売れないものを一生懸命に売るしかない彼らの傍らを、富裕そうな観光客が一瞥もせず通り過ぎる光景を見るのは、胸が痛むものです。

移民を受け入れていない国ではこのような光景はないわけで、一見、豊かに見えますが、そのような政治的な問題は別として、彼らの生きることに精いっぱいで夢さえ持てない、哀しげだがしかし真剣な目力に、私も人の子の母親として、いつも痛みを感じながら観光するはめになるのです。

カンボジアではヨチヨチ歩きの幼児に、母親が絵葉書を持たせて、私たちのところへ向かわせます。ツアー客はお互いに「癖になるから買っちゃダメよ」と言い合いながら、その幼児を無視するのです。

イスタンブールでは小学生が路上で裸足で笛を吹いたりゴム草履を売ったり、大人たちの最後列で(いい場所は取れないから)、雨傘を売っていました。

こんなときは決まって、日本では外食産業などで慢性的な人手不足というニュースを思い出しますし、親が甘やかせすぎてダメに育っている子供たちを思い出してしまいます。日本で育っているまじめでない若者たちは、もっとまじめにやらないといつかは罰が当たるよと、小言のひとつも口について出てきます。

歴史と文化と芸術を大切にする国に敬意

悪い点ばかりではありません。私はヨーロッパの街並みを歩くのが大好きです。何百年も前の建造物や街並みを大切に保存し、都市も地方も周囲の景観を壊すような建物はなく、どこを歩いてもとても調和のとれた落ち着いた美を感じます。

それに教会がとても多く、立派なものから素朴なものまで含めると、奈良や京都のお寺の数だけあるかと思えるほどです。スイスのある田舎でポリスボックスを探しましたら、それは1カ所もない田舎で教会は2つもあったのですから。

特定の神様を持たない者の利点と申しますか、私は永平寺や東大寺、そしてノートルダム寺院や名もない教会を、見るのも入って雰囲気を感じるのも大好きです。難しい教義はわかりませんが、歴史に耐えてきた荘厳な雰囲気は何となくありがたくておそれ多く、そしてほっとできる空間です。

そんな教会が行く先々にあり、ヨーロッパならではの美しい公園がたくさんあり、至る所が世界史の舞台であり、美術館や博物館がたくさんあり、本場のミュージカルやオペラが、その気になればいつでも見られる環境は、とても魅力的です。

場所ばかりではありません。古い伝統が受け継がれている国で暮らしている人々ならではの、私からみれば新鮮な威厳や誇り、マナー、ウィットに富んだ会話、親切等々は、学びどころが満載です。

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