木版画は一般的に、額に入れて並べ、上から照明を当てて展示する。しかしそれでは、版画が平面的に見えてしまう。そのギャラリーでは自然光を生かしていたため、立体感や顔料の陰影が生まれ、えも言われぬ美しさを醸し出していたのだ。しかも、版画を手に取ることもできた。木版画が全盛だった江戸時代に、庶民が直接触れて楽しんでいた鑑賞方法を再現していたのだ。
すっかり夢中になったデイブさんは、図書館で浮世絵や木版画の本を読み漁った。同時に、木版画づくりにチャレンジしようと、板を購入。彫刻刀の代わりにカッターナイフを、バレン(版木に当てた紙をこすり、顔料を転写させる道具)の代わりにしゃもじを用意し、風景画をつくることに。作業をしながら、頭には美しい出来上がりのイメージが浮かんでいたが、実際は……。
「ひどいものでした(苦笑)。手先が器用だったので、そこそこできるだろうと思っていましたが、そんなに簡単じゃなかった。すぐに捨てて、風景画や美人画を何枚もつくって練習していきました」
日本に移住し、本格的に木版画家を志す
そのころ、デイブさんはカナダで出会った日本人と結婚する。30歳のときに初来日し、本格的な木版画の道具を入手した。あるとき、アポなしで木版画の工房を訪問。たどたどしい日本語で頼み込み、つくり方を見学させてもらった。そこで、独学ではわからなかった、生きた技術の一端を知れた。
「絵柄によって、漢字の書き順のように、彫りにも順番があるんです。それを守らないと、美しく仕上がらないのだとわかりました。本や資料を読んでも得られない、貴重な経験でしたね。ただ、毎日通っていたら、『出ていけ!』と怒鳴られました。職人の方は忙しいのだから、迷惑だったと思います(笑)」
木版画への情熱は高まる一方で、35歳で日本に移住。本格的に木版画家を志すことにしたのだ。だが当時、仕事のあてもなく、貯金は半年分の生活費しかなかった。妻と2人の娘を養うため、自宅で英会話教室を開いて何とか生計を立てた。
一方で、木版画家として着実に腕を磨いていった。師匠がいないデイブさんは、明治~江戸時代の版画をお手本に、独学で技術を身につけていったのだ。
「昔の職人は、先輩から『技術は見て盗め!』と言われて、自分で学んでいきましたよね。僕も昔の版画をお手本にしてつくり、うまくできなかったら何が悪いのか考えて、またつくっていきました。それを繰り返しながら、技術や技法を“盗んで”いったのです」
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