「夏の甲子園」にも「難関大受験」にも強い高校は? 高校野球と東大合格「ダブル日本一」は現れるか
甲子園優勝校が東大合格者を多く出したケースはいくらでもある。しかし、東京大合格日本一と甲子園優勝を果たした学校はない。
それに近づいたのが、1971年大会優勝の桐蔭学園高校(神奈川)である。1992年に東京大合格者を114人出しており、1位開成201人、2位麻布126人に次いで3位だった。
同年、桐蔭学園高校の進学実績はすごかった。東京大、一橋大、東京工業大、京都大の合格者合計は245人を数えた。当時、同校の鵜川昇理事長は「トップは見えた」「200人はいきたい」などの発言を繰り返し、こう豪語している。
「この生徒に全員、東大を受けさせたら東大合格者は開成を抜きます」(「週刊朝日」1992年9月11日号)
桐蔭学園高校には1学年当たり約1600人の生徒がいた。開成は約400人である。数の論理で、東京大と甲子園を制覇する可能性は十分にあった。しかし、2000年代以降、同校からの東京大合格者数は減少し、夏の甲子園も1999年を最後に20年以上ご無沙汰している。
東大合格日本一で甲子園に出場した学校
東京大合格日本一で甲子園に出場した学校が1つだけある。ただし、これは前身となる旧制学校までさかのぼったケースだ。
1971年、東京教育大学附属高校が東京大合格者数125人でトップとなった。その四半世紀前の1946年、同校の前身、旧制の東京高等師範学校附属中学が夏の甲子園に出場し、ベスト4まで勝ち進んでいる。東京大、甲子園の制覇にあと少しのところだった。いまの筑波大学附属高校である。
歴代の東京大合格1位校は日比谷高校、灘高校、東京教育大学附属高校、東京教育大学附属駒場高校、開成高校の5校しかない。このなかから甲子園で優勝する学校が出てくる可能性はきわめて低い。となれば、大阪桐蔭高校、智弁学園和歌山高校に期待するか、あるいは、戦後まもなく甲子園で優勝した公立の進学校、小倉高校(福岡、1947、48年)、湘南高校(神奈川、1949年)、松山東高校(愛媛、1950年)に古豪復活を祈ったらいいか(カッコ内は優勝年)。
いま、少子化によって多くの学校が特徴づくりに励んでいる。かつての桐蔭学園高校、いまの大阪桐蔭高校や智弁学園和歌山高校のような、東京大合格と甲子園の制覇をめざすまったく新しい学校が登場しないとも限らない。
(教育ジャーナリスト・小林哲夫)
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