また、その『スカーレット』では、肉体的にかなりハードな陶芸のシーンも、一切吹き替えなしで、全部が戸田恵梨香自身によるものだったそうだ。
さらに注目するべきは、このような俳優としての「プロフェッショナリズム」を持ちながら、それが100%になるのではなく、一個人=「人間・戸田恵梨香」も大切にしたいという「普通イズム」をも併せ持っていることである。
戸田恵梨香の「実像」と「虚像」の一致ぶり
あらためて驚くのは、インタビューの発言の中に表出する「人間・戸田恵梨香」像と、画面の中の「俳優・戸田恵梨香」像が、かなり一致しているということだ。旬の俳優の場合、多かれ少なかれ、実像(人間)と虚像(俳優)は近寄っていくが、それにしても、ここまで一致しているのは珍しい。
要するに、「人間・戸田恵梨香」のような女性像、ひいては人間像が、時代から強く求められていることの反映なのだろう。これまでになくジェンダーの問題が多く語られた2021年という時代から。日本の「ジェンダー・ギャップ」が156カ国中120位という時代から(世界経済フォーラム『グローバル・ジェンダー・ギャップ・レポート2021』)。
高い「プロフェッショナリズム」を持ちながら、俳優という仕事にすべてを捧げてしまうのではなく、地に足のついた「普通イズム」をも併せ持ち、他の誰でもない自分ならではのオーラを創りつつある「人間・戸田恵梨香」の像は、ドラマ『ハコヅメ』で戸田が演じる藤聖子とつながるし、またそれは、この時代に女性から求められる女性像、ひいては男性からも憧れられる人間像だと思う。
無料会員登録はこちら
ログインはこちら