「パラリンピックの名付け親」の超意外な正体 アスリートたちの活躍はまだまだ終わらない

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ここで浮上するのが、ローマの次、1964年の夏季オリンピック開催地だった日本・東京です。紆余曲折あったものの、東京でも開催が決定。しかし、そのニュースを伝えるにも、「国際ストーク・マンデビル大会」では、何の大会なのかアピールしづらいと日本の新聞社は考えました。

そこで「Paraplegia(対麻痺という医学用語。脊髄損傷による下半身不随の意)」という言葉に着目し、それと「Olympic=オリンピック」を合わせた「Paralympic」という造語を生み出し、それを大会の愛称として打ち出したのです(※異説あり)。

1985年「パラリンピック」の名が採用

語呂の良さもあり好評ではあったものの、その後、必ずしもオリンピック開催地で行われるという原則が守られなかったこともあり、正式な名称としては認められていませんでした。

その流れが変わったのが、1985年。ソウル夏季オリンピックを3年後に控えたこの年、IOC=国際オリンピック委員会が、「国際ストーク・マンデビル大会」の大会運営に直接関わることとなり、それを機に名称が正式に変更されることに。そこで、既に愛称として定着していたパラリンピックが採用。

ただし、語源であった「Paraplegia」の選手だけでなく、様々な障がいを抱える選手も多く参加していることから、「Parallel(もう1つの意)」を語源とする「Paralympic」とすることに決定。同時に、オリンピック開催地に立候補する際には、パラリンピックも開催することが義務づけられたのです。

パラリンピックという名称誕生の陰に、日本人の影あり……。何だか少しだけ、誇らしい気分になりませんか?

小林 偉 メディア研究家

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こばやし つよし / Tsuyoshi Kobayashi

メディア研究家、放送作家、日本大学芸術学部講師。東京・両国生まれ。日本大学藝術学部放送学科卒業後、広告代理店、出版社を経て、放送作家に転身(日本脚本家連盟所属)。クイズ番組を振り出しに、スポーツ、紀行、トーク、音楽、ドキュメンタリーなど、様々なジャンルのテレビ/ラジオ/配信番組などの構成に携わる。また、ドラマ研究家としても活動し、2014年にはその熱が高じて初のドラマ原案・脚本構成も手掛ける。

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