「さようなら、中西君」日立再生の同志からの送辞 人間と科学技術に関心が深い、利益を出せる人
人を見ぬく目が確かだった
私が日立工場にいた30代の頃、中西君は近隣の大みか工場勤務で、たまに顔を合わせるようになった。彼が日立ヨーロッパ社長だったとき、私のロンドン出張時にアガサ・クリスティの芝居『ねずみとり』ロングラン中を一緒に観に行ったこともある。ただ、本当にタッグを組んだのは2009年、私が日立製作所の会長兼社長兼CEO(最高経営責任者)を引き受けたとき、彼に副社長になってもらってからだ。
あの頃の日立は製造業として当時最大の7873億円という巨額最終赤字となり、相当難しい状況にあった。1991年頃から20年近く、3代の社長にわたって利益の出ない経営を続けていた。
社会に対しても申し訳ない状況だった。企業は稼がなくてはならない。利益を出して、それらを給料や配当、税金、社会投資等という形で社会に還元する役目がある。
「沈む巨艦」とも揶揄された日立のトップを引き受けるにあたって、本当の意味で経営ができる人物を揃えることがどうしても必要だった。人前での演説がうまいとか、そういうことではない。財務諸表の裏をもきちんと見て、時価総額を右上がりに上げていけるかどうかだ。金の匂いがきちんと嗅ぎ分けられ、かつ人間と科学技術に関心の深い人だ。
中西君はアメリカのHDD(ハードディスクドライブ)会社でCEOを4年間勤めていたから、アメリカ的経営ができると白羽の矢を立てた。日本の経営はどうも理より情を重んじていけない。仲間うちで仲良くやるのを最優先するとか、先輩たちの時代から縁のあった仕入れ先から延々と納入を続けるといった調子で、「情に棹させば流される」的な経営が多い。
その点、中西君はアメリカで人員整理をきちんと行うなど、合理的な経営ができる人間だった。私は、他にも日立の米英の会社での本格的企業改革(CX)の経験者を集めたが、中西君はその中では筆頭だった。
楽観的なのも彼のいいところ。私の愛読書であるアランの『幸福論』に、「悲観主義は気分によるものであり、楽観主義は意志によるものである――気分というのはいつも悪いものなのだ。幸福とはすべて、意志と自己克服とによるものである」とある。中西君はまさにこの意味での楽観主義者だった。困難な状況にあっても、遠くに何か良い可能性や明るさを見つけて、頑張っていくことができる人だった。
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