「さようなら、中西君」日立再生の同志からの送辞 人間と科学技術に関心が深い、利益を出せる人

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フ=防ぐは、危機対策だ。金融危機、自然災害や気候変動の危機、中国等地政学的危機と危機が息もつかせずに来る。日立もアジア危機、リーマンショックなどで何度も失敗してきたし、東京電力は東日本大震災の影響をまともに受けて、今後何十年と借金を返していくことになった。危機対応の良くない例だろう。危機は必ず起きるものと考えたうえで、予行演習、模擬訓練が欠かせない。平時なら消防車は消防士が運転するが、危機時に消防士がいなかったらほかの誰がどう運転するかを予行演習や模擬訓練により決めておくのだ。

最近はカケフに、新規事業を立ち上げて稼ぐもう1つの「カ」も必要とされている。既存事業で稼ぐ「カ」だけではとても間に合わない。「カカケフ」の時代とでも言おうか。日立でも情報関連事業「Lumada(ルマーダ)」の育成が今後のカギを握っている。日立建機が手がける油圧ショベルで例えるなら、世界での稼働状況を把握し「この稼働が遊んでいますね、引き取って中古として売りましょうか」というふうに、お客の喜ぶような再商売を提案する。既存事業への改革に加えて新規事業を立ち上げる際にこのデジタルトランスフォーメーション(DX)の活用を大きな柱にできるかどうか。

普通の日本人じゃなかなかできない

ルマーダ等々の新DX事業がもしうまくいかないときには、日立は小さい会社に分裂するんだろう。私が入社したころから馬場粂夫さん(日立創設者の1人)はじめ諸先輩方からそう言われてきた。「総花経営をしていたらいずれうまくいかなくなる可能性がある。そのときは分裂して、生き残る会社が残るんだよ」。

日立は再生した、もう潰れないと言う人がいるかもしれないが、そんなことはない。少なくとも2009年頃はアメリカ発リーマンショックで会社がこれだけ傷んで、もう一度、今度は欧州発の金融危機が来たら間違いなく潰れる危機感があった。そのため公募増資すべく世界を駆け回った。結果的に第2波は来ず、資本金だけが膨らんでいる状態だが、当時は「防ぐ」意識がそうさせた。

アメリカHDD子会社時代の中西氏。当時から経営手腕が注目されていた(撮影:梅谷秀司)

中西君が社長になって、日立の国際化がさらに進んだ功績は大きい。私がバトンを渡したときも国際事業比率は48%あったが、中身を良い形で入れ替えつつ、現在は52~53%に上昇している。

自分が苦労して育てたアメリカHDD会社も売りに出す決断をしてくれた。コンピューターの小型化が進む中で、かさばるHDDがいつまでも記憶媒体の主であるとは考えにくいねと2人で話していたけれど、切り離しは難航するだろうと私は内心思っていた。

ところが中西君は売るとなったらぱっと決めて、値段も決めてきた。しかも冷酷無比なやり方でなく、売られる会社にもメリットが出る形で。普通の日本人はなかなかできない。

(後編へ続く)

川村 隆 日立製作所 元会長

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かわむら たかし / Takashi Kawamura

1939年生まれ。日立製作所元会長。東京電力前会長。62年東京大学工学部を卒業し日立製作所入社。電力事業部火力技術本部長、日立工場長を経て99年副社長。その後、日立マクセルなどグループ会社の会長を歴任したが、日立製作所が7873億円の巨額最終赤字を出した直後の2009年に呼び戻され、執行役会長兼社長に就任。日立再生を陣頭指揮した。黒字化の目処を立てた10年に社長を退任、14年には取締役会長を退任。10~14年日本経済団体連合会副会長。14~19年みずほフィナンシャルグループ社外取締役。15~17年カルビー社外取締役、16~17年ニトリホールディングス社外取締役。17年に東京電力ホールディングス社外取締役会長に就任し20年退任。

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