「島耕作」作者が説く50代から人生を楽しむ方法 「小欲」は楽しく生きるための"万能薬"となる

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ではカネがあれば、何が可能になるのか。

答えはさまざまだと思うが、ひと言で言うならこうなるはずだ。

「いまよりもうちょっとまともな暮らしができる」

家、車、食事、スーツ、小遣い、酒場、旅行……とにかく暮らしの中のさまざまなシーンがいまよりもう少し贅沢になる。それはそれでうれしいことだ。

ではいまの暮らしがみすぼらしくて我慢できないのだろうか。そんなことはないはずで、住処もなく飯も食えないサラリーマンはいない。

それぞれの世代が、家族や収入に合わせてそれぞれのスタイルで暮らしているはずだ。不満はあっても「こんなもんだろう」という気持ちがどこかにある。

すると後は、何を楽しみに生きるかという問題になってくる。

それに答えるためには、自分自身の気持ちを家族や世間から切り離して真っ直ぐに見つめるしかないはずだ。

「楽しみといっても、家族のためにはまだやらなければいけないことがある」とか、「不景気でいつリストラされるかわからないのだから、楽しみどころではない」といった答えは、少しも正直ではない。

「着膨れる」人生とはおさらばしよう

本音の本音を口にするならば、「わが人生」を取り戻すこと。それに尽きるのではないか。これからの楽しみは会社や家庭なんかじゃなくて、久しく思い描くことのなかった「わが人生」の中にある。

放哉は10年余りのサラリーマン生活の後、「わが人生」を歩き出した。最初に断ったように、ぼくらには放哉のまねなどできないし、する必要もない。

しかしこれ以上、着膨れる人生とはおさらばしてもいい。身の回りには暮らすに十分なものがそろっているのだから、これ以上のものはもういらない。

「カネがあれば」と嘆くより、とりあえずいま手元にあるカネで自分の楽しみを味わうのが「わが人生」ではないか。

さらに言えば、カネがなくてできる楽しみを味わう生き方だってある。夕日を眺めるのが無上の楽しみという男がいた。夕日に輝くのは彼の顔ばかりではない。心も明るい光彩を発している。

放哉は無一文・無一物で、食べ物を乞いながら生きた。何も持たないのだから、恵んでもらったものは、「入れ物がない両手で受ける」しかなかった。

ひとつの極限として、そういう生き方を選んだ男がいたということを、ぼくらは覚えておいていい。 それに比べれば「わが人生」には、こざっぱりとした姿で楽しめる無数の小欲が残されているからだ。

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