「島耕作」作者が説く50代から人生を楽しむ方法 「小欲」は楽しく生きるための"万能薬"となる
10代の頃は、漠然とした中に「わが人生」が広がっていた。将来にはっきりしたイメージは浮かばなくても、好きなことに熱中できる毎日がそのまま「わが人生」だった。
社会に出ると仕事が大きな比重を占めてくる。結婚して家族ができれば家庭の比重も大きくなる。「わが人生」は具体的で現実的なものになり、その中に目標が生まれてくる。
それを「楽しみ」と言ってよいのかどうかはわからないが、ほとんどの男は仕事や家庭の中に自分の理想を描いてみる。これが30代から40代にかけての男ではないだろうか。
具体的で現実的な目標というのは、わかりやすく言えば「もっとよい暮らし」のことだ。
よい会社に勤め、出世して給料が上がればもっとよい暮らしができる。ローンで家を買い、子どもを塾に行かせて有名校に入学させる。夏休みには家族で海外に出かけ、豪華なホテルでおいしい食事を楽しむ。
そういう暮らしを目標にし、堅実に財産を増やしていく。経済が右肩上がりの時代には、個人差はあっても日本のサラリーマンがだんだん豊かになったのは本当のことだ。
けれどもそこに「わが人生」があったかどうか。50代を迎える頃に、たいていの男はそんな疑問を持つのではないだろうか。
40代まで「土台」を作るのに費やしたが…
確かに形となって残ったものはある。
形はなくても自信やプライドとなって備わったものもある。
しかし、「わが人生」とはそういうもので満ち足りてしまう人生なのだろうか。
別にGDPを押し上げるために働いてきたのではない。自分をひとりの男として見つめ直せば、家なんか広すぎるし、子どもがどんな学校に入ろうが関係ない。「わが人生」を会社や家庭とぴったり重ね合わせて納得する男はいないはずだ。
30代から40代にかけての人生というのは、しっかりした土台を作るのに費やした人生と言えるかもしれない。組織の中にあっては安定した自分のポストやポジション。上司や部下との関係。家庭の中にあっては家そのものや落ち着いた家族の関係。そういう土台や人間関係を作ることが、これからの人生のためには必要だと思い込んでいた。
ところが盤石に構えたつもりの土台に何ひとつ築けるものがなかった。肝心の「わが人生」は、どうやらそんな土台とは無関係なところにあるらしいと気がついてしまった。
それが、40代から50代にかけての男たちではないだろうか。
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