五輪開催でも「侍ジャパン」の存在意義が薄らぐ訳 築き上げた国際戦略がコロナの影響で瓦解

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松坂大輔のアクシデント以後、MLB球団経営者はWBCへの警戒感を一層強くした。一線級の先発投手は本人が出場を希望しても球団が首を縦に振らなくなった。野手もケガのリスクを恐れて派遣に消極的になった。

ドミニカ共和国やベネズエラなど中南米諸国の代表選手も多くがMLBでプレーしているから、これらの国でもバリバリのメジャーリーガーはWBCに出場できなくなった。

日本が2006年、2009年とWBCで連覇したのは、他国がトップ選手をそろえられないのに対して、日本がMLBに次ぐレベルのNPBの主力選手をフルに出場させることができたことが大きい。

アメリカでは、WBCはメディアの扱いも大きくなく「エキシビションゲーム(オープン戦)だろ?」という声さえあった。

日本野球の「価値観」を変えたWBC

WBCで興行的に最大の成功を収めたのは日本だ。決勝ラウンドの中継は、サッカーワールドカップの日本戦と遜色ない視聴率を得た。野球日本代表「侍ジャパン」は、国民的ヒーローになった。

2011年、NPBは「侍ジャパン」の常設化を決定。「13番目の球団」として事業化した。またトップチームだけでなくU21からU12、女子まで世代、性別を超えた「侍ジャパン」も創設した。これは画期的なことだった。

侍ジャパンのユニホームを着ることで野球少年たちは「プロアマ」の壁を越えて日本を代表する選手たちとつながることができるようになった。

この時期から日本の野球少年の夢は「甲子園で活躍すること」から「世界で活躍すること」に変わった。大谷翔平などはその第1世代だが、大げさに言えばWBCは日本野球の「価値観」も変えたと言えよう。

WBC主催者のMLBとMLB選手会は、主に日本や韓国、台湾での放映権や、広告など大きな収益を得て興行的には成功した。

アメリカ代表は、2006年の第1回は第2ラウンド敗退、2009年の第2回はベスト4、2013年の第3回は第2ラウンド敗退(ドミニカ共和国が優勝)だったが、2017年の第4回ではプエルトリコを下して初優勝を飾った。

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