財政再建路線の政治経済学
以上のような産業界の要請と並んで、財政当局の財政再建要請があった。日本の財政は、70年代後半から80年代にかけては特例公債の発行を行っており、公債依存度も10%を超えていた。しかし80年代後半からはバブル経済を背景として税収が順調に伸びたため、依存度も10%を下回るようになり、特例公債の発行も、89年度から93年度まではなかった。
しかし、90年代初めにバブルが崩壊し、それまで順調に伸び続けていた税収は頭打ちになり、さらには減少を始めた。このため赤字公債も94年度から再開され、98年度からはかなり増え始めた。公債依存度も98年度からは30%を超えるようになった。
こうした財政状況の悪化を背景に、公共事業の削減が行われるようになったのである。
「90年代の不況に対応するため公共事業が増やされ、赤字が増えた」と言われることが多いが、そんなことはない。図の建設公債発行額(ほぼ公共事業費に対応)を見ればわかるように、90年代初めの数年間に公共事業が増えたのは事実だが、すぐに頭打ちになった。そして税収の悪化に伴って削減されたのである。
また、「財政当局の権力は、緊縮財政時にこそ強くなる」という事情もある。財政の大盤振る舞いが行われたとき、主計局の予算担当者が、「これでは予算を使ってくださいとお願いにいかなければならなくなる」と嘆いていたことがある。
財政当局は、本能的に緊縮財政を望むのである。そして経済に対する影響を緩和するため、金融緩和が求められた。日銀はこうした要求に抵抗できず、金融緩和が実現した。それは右に述べた産業界の要請と一致するものだった。