「大麻栽培を政府が奨励した」明治時代の特殊事情 教科書に「大麻の栽培方法」が書かれていた事も
明治時代初頭、明治新政府にとって北海道は広大な新天地であり、農業開発と移住政策に力を入れました。大麻もその対象であり、1871年には栃木県産の大麻の種子を導入して試験栽培を行い、普及のための礎を築きました。
1873年、北海道の開発と北方の警備を目的とした屯田兵制度が制定されると、養蚕と大麻栽培が奨励されるようになり、その繊維の多くはイワシやニシンを獲るための漁網に加工されました。“Boys, be ambitious”という名言で知られるクラーク博士が初代教頭を務めた札幌農学校(現在の北海道大学)では、大麻栽培と亜麻栽培が正規の教科でした。
現在では北海道で自生している大麻を保健所やボランティアの方々が引き抜いて処分するという報道が毎年の恒例行事のようになっていますが、ここで引き抜かれている大麻は、過去に国策として栽培されていたものの名残なのです。
当時の日本が「大麻を必要とした」理由
当時、フランスに派遣された官吏である吉田健作が農商務省に提出した「麻紡績工場の設立意見書」には、次のように書かれています。
この結果、1887年に北海道製麻株式会社が設立され、本州からの移住者にとって馴染みのあった大麻をまず奨励し、次いで亜麻の耕作に力を入れました。