「僕武器」は武器でなく「首輪」かもしれない理由 「生き延びる」よりも「生きる手応え」を求めて
「生き延びる」本から「武器」本ブームへ
書店をのぞくと、「武器」という言葉をタイトルに冠した本がたくさん売っている。
株価は上がっても賃金は上がらず、労働環境は厳しくなるばかり。経済誌は、DXやAIの導入で日々の糧を得る仕事や職場そのものが消滅すると脅してくる。さらに少子高齢化や地球温暖化といった、ちょっとした工夫や努力ではどうにもならない問題が、私たちの暮らしと社会の見通しを暗くしている。
本屋に乱立する「武器」本は、そんな「流動化した」「残酷な」世界を生き抜くための方法や知恵を求める読者のニーズのあらわれだ、とも考えられる。
この「武器」本ブームには前段がある。2010年ごろに始まる「生き延びる」本の流行だ。
NHK教育テレビでマイケル・サンデルの講義番組が人気を集め、その書籍化である『これからの「正義」の話をしよう いまを生き延びるための哲学』(早川書房、2010年/2011年に文庫化)が大ベストセラーになった。
以後、さまざまな人文書やビジネス本が「生き延びる」を売り文句に使い始めた。東日本大震災と原発事故の経験がこの言葉に重みを与えた。今のコロナ禍においてなお力をもつキーワードだ。岩波書店が2020年秋に始めたフェアも「生きのびるための岩波新書」だった。
「武器」は、供給過剰気味の「生き延びる」を引き継ぎ、闘争的・主体的なニュアンスを強めて新装した言葉だと思う。「生き延びる」ためには、具体的な「武器」を選び、その使い方を学ばなければならない、というような連続した文脈がある。
その「武器」本の代表格は、瀧本哲史『僕は君たちに武器を配りたい』(講談社、2011年/2013年に「エッセンシャル版」として文庫化)だろう。
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