「僕武器」は武器でなく「首輪」かもしれない理由 「生き延びる」よりも「生きる手応え」を求めて

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私は単行本が出た当時、最初の職場の隣にある青山ブックセンターで『僕武器』を立ち読みした。

映画『花束みたいな恋をした』(2021年)で、就職後に大好きだった小説や漫画を読めなくなる文化系青年・麦が、前田裕二『人生の勝算』(幻冬舎、2017年/2019年に文庫化)を立ち読みする切ない場面があるが、麦は2011年頃に就職していれば『僕武器』を立ち読みしただろう。

『僕武器』はベストセラー・ロングセラーとなり、多くの読者に影響を与えた。

10年後の現在もその状況分析は鋭さを保っている部分がある。英語・IT・会計スキルの勉強を修行のように勧める自己啓発本の欺瞞、人気就職先ランキングのはかなさ、「信者ビジネス」の危険性などは今も同じだ。定型化された労働力を漫然と売るだけでなくさまざまなプレーヤーの立場から考えて動くべきとのアドバイスも、結果を出したい労働者にとってそれなりに有益だろう。

だが、『僕武器』が言っているのは結局、資本家に近づけば近づくほど搾取されにくいという話でしかない。資本主義経済ではあらゆる「商品」が陳腐化する運命を免れない。労働力を商品として売って生活する労働者は必然的に貧困化するシステムだ。だからそれを脱する道を探れ。搾取される側(99%)から搾取する側(1%)に回ろう、というのが『僕武器』のメッセ―ジであり、「ゲリラ戦を戦おうとする同志」に配りたい「武器」だという。

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2011年当時も、さすがに素朴すぎる話だと思った。これは「武器」の名目で労働者に売りつけられた首輪なのではないか。そう感じてから、「武器」や「生き延びる」などの言葉を掲げた本には同様の世界観が通底しているような気がして、本屋で見かけてもスッと距離を置いた。

だが、2020年代に入ってようやく信用に足る「武器」本が出てきた。白井聡『武器としての「資本論」』(東洋経済新報社、2020年)である。

『武器としての「資本論」』は、カール・マルクスの長大な主著『資本論』の少し変わった入門書だ。「はじめに」で、「『資本論』を人々がこの世の中を生きのびるための武器として配りたい」と書かれている。

そう、この本は『資本論』入門であると同時に、『僕武器』への応答であると宣言して始まる。事実、『武器としての「資本論」』は、書名こそ挙げないものの、『僕武器』への批判・アンサーと思われる箇所が少なくない。

本書は『資本論』のキー概念である「商品(commodity)」と、「商品」と「資本主義」との関係から説いていく。これは『資本論』の章立てに沿いつつ、『僕武器』が資本主義のもとでは労働力を含めたあらゆる商品の「コモディティ化」が避けられないとした記述に対応しているだろう。『資本論』に立ち返れば、商品が商品化するという同語反復は何も言っていないに等しい。本当の問題は、「商品」とは何かであり、『僕武器』が書いたように「資本主義の仕組みをよく理解」することだ。

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