「生きる歓び」を取り戻す「資本論」の使用法 矛盾していても手放したくない「身体感覚」
『大杉栄伝 永遠のアナキズム』『村に火をつけ、白痴になれ 伊藤野枝伝』『死してなお踊れ 一遍上人伝』などの著書で知られる政治学者の栗原康氏が同書の魅力を読み解く。
「水の民営化」がインドで引き起こした事件
いまから十数年前、インドのムンバイに行ったことがある。新自由主義に反対する人たちが世界中から集まってくるというので、面白そうだと思って行ってみたのだ。世界社会フォーラムだ。
『武器としての「資本論」』の「第4講」で解説されているように、新自由主義というのは、この世界のあらゆる領域を資本が包摂してしまうということだ。教育、医療、電気、ガス、水道、道路、郵便、農業。誰がどう見ても金儲けになじまないところまで利潤追求が求められる。問題続出だ。
日本だけではない。世界中で同じ問題が起こっていた。それならせっかくだし情報共有をして、気の合う人がいたら一緒に行動したらどうですかと。フォーラム開催だ。
行ってみると無数のテントブースが用意されていて、数十人規模から、数百人規模、大きいものでは千人くらいあつまって連日、集会がひらかれていた。
中でもでもいちばん盛りあがっていたのは当時、インドで問題になっていた「水の民営化(プライバタイゼーション)」だ。本書でもそれまで無料だった水がペットボトルで売られはじめたときの衝撃を語っているが、インドでは状況はさらに深刻だ。多国籍企業が水を独占して、わが物顔で売りはじめる。私有化(プライバタイゼーション)だ。
実はこの時点で、コカ・コーラ社がある地域の地下水をすべてくみとって、井戸水を枯渇させるという事件がおこっていた。
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