「生きる歓び」を取り戻す「資本論」の使用法 矛盾していても手放したくない「身体感覚」
わたしが白井聡を好きなのはこの点だ。文章の根底に身体がある。もちろん本書を読んで、内容的にも共感するところはたくさんある。
さっきの新自由主義の捉え方もそうだ。新自由主義は、この世界をまるごと資本によって包摂してしまう。民営化はその一例だが、変わったのは社会の仕組みばかりではない。「新自由主義は人間の魂を、あるいは感性、センスを変えてしまったのであり、ひょっとするとこのことのほうが社会的制度の変化よりも重要なことだったのではないか、と私は感じています」(『武器としての「資本論」』71頁)。資本主義が人間の魂まで包摂してしまう。
うまいものを食おう、最高だ
たとえば、就活。学生たちは、働く前から自分をどれだけ高く買ってもらえるのか、そのためにどれだけスキルアップできるのか、そればかりを考えさせられ、その計画を練らされる。
自分はよりよい商品ですとアピールさせられる。最初は面倒くさいと思っていても、他人に評価されるとうれしくなって、もっと自分を高く売ろうと必死になる。何をするにもどれだけ儲けられるのか、どれだけ見返りをもらえるのか、対価ばかりを考えさせられてしまう。魂の商品化だ。そんなクソみたいな世界を脱出するためにはどうしたらいいか。
白井いわく、身体だ。たとえ見返りなど得られなくても、頭ではダメだとわかっていてもなぜだか好きになってしまう、うまいと思ってしまう。そんな自分の身体を信じろと言っているのだ。
それが白井の文章全体にも表れている。なにせ『資本論』を1冊かけて解説して、その結論がうまいものを食おうだからね。最高だ。
わたしは勉強になるので、たまにマルクスやマルクス主義の文献も読むのだが、ものによって嫌になってしまうのは、読んでいるうちに自分の身体感覚が奪われそうになってしまうからだ。
理路整然としていて、分析も納得。だが理論が明晰だからこそ、その世界観が出来上がってしまっている。マルクスが言っていることを紹介するにしても、このまま資本主義で突き進んでいったら、大不況に陥ってみんな食えなくなって死にますよ、それが嫌なら何をすべきかわかっていますよねと。いまだったら企業の利潤追求にすべてを委ねていたら、原発がまた吹っ飛びますよとか、地球温暖化で人類が死滅しますよというところだろうか。
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