「僕武器」は武器でなく「首輪」かもしれない理由 「生き延びる」よりも「生きる手応え」を求めて

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『僕は君たちに武器を配りたい』(以下、NewsPicksにならって『僕武器』と略す)は、「ブラック企業」や「就活ビジネス」に翻弄され、拡大する格差社会に投げ出される「学生や若い人々に、この社会を生き抜くための『武器』を手渡したい」(文庫版p.17)という動機で書かれた本だ。

著者の瀧本哲史は、1994年に東大法学部を出てすぐに大学院の助手になり、3年でアカデミックの世界を離れて大手外資コンサルのマッキンゼーに就職。その後独立して投資家となり、京大の産官学連携センターで客員准教授として学生たちを教えた。この本は京大生向けの起業論の講義を下敷きにしているようだ。

『僕武器』はまず、多くの高度専門職が「コモディティ化」し買い叩かれるようになった、という前提から始まる。「コモディティ(commodity)」は「商品」を意味する英語だが、ここでは投資業界用語の「コモディティ化」、つまり「市場に出回っている商品が、個性を失ってしまい、消費者にとってみればどのメーカーのどの商品を買っても大差がない状態」という意味で使われる。

消費財だけでなく、医師、弁護士、一級建築士など、これまで一生食いっぱぐれないと思われていた高学歴・高スキルの人材がワーキングプアになってしまう、そんな世界的な潮流があると述べる。現在のグローバル資本主義経済システムでは、どんなに高いスペックがあっても、規格化された能力は代替可能な労働力商品として値下げ競争に巻き込まれるからだ。

「投資家的に生きる」ということ

では、「コモディティ化」を避けるにはどうすればいいのか。

その答えは「スペシャリティ(speciality)」になることだ。ほかの人には代えられない、あなたにしかできない仕事をすることが生き残る道である。スペシャリティになるためには「資本主義の仕組みをよく理解して、どんな要素がコモディティとスペシャリティを分けるのか、それを熟知することだ」と『僕武器』は説く。

と言いつつ、『僕武器』は資本主義の歴史や概念について深入りしない。

超高速の駆け足で教科書的な説明をした後、日本での「小泉・竹中路線」に象徴される新自由主義への批判を取り上げ、「本質からずれているのではないか」と疑問を投げかける。労働者の賃金下落は派遣などの非正規雇用の拡大が要因ではなく、技術革新が進んだことでコモディティ化した労働者が高品質の製品を作れるようになったこと、つまり産業の発展が本当の原因だ、と『僕武器』はいう。

産業の発展は止められないし望ましいことでもある。「怒ったところで、状況が好転するわけではない」のだから、「本物の資本主義」の世界で儲けることができるスペシャリティ人材になることだ。

瀧本はその人材の類型を6つ示している。①トレーダー、②エキスパート、③マーケター、④イノベーター、⑤リーダー、⑥インベスターである。ただし、①②はコモディティ化の波にのまれやすく生き残りが難しい。そのため③~⑥が『僕武器』が用意する「武器」である。マーケター、イノベーター、リーダー、インベスターの4つの顔を状況に応じて使い分けることが望ましい。中でも重視されるのが著者自身の立場であるインベスター(投資家)だ。

「なぜなら資本主義社会では、究極的にはすべての人間は、投資家になるか、投資家に雇われるか、どちらかの道を選ばざるをえない」。投資家に雇われる側の「サラリーマンとは、ジャンボジェットの乗客のように、リスクを取っていないのではなく、実はほかの人にリスクを預けっぱなしで管理されている存在」だからである。

もちろん誰もが投資する資本を持てるわけではない。しかし就職するうえでも、1人の労働力としてではなく投資家の頭で働くことはできる。それが「投資家的に生きることの第一歩となる」と語る。

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