ここでひとつ、世界の流れを振り返ってみると、2000年代始め、BRICsが台頭してきた頃に「グローバル競争に勝てるか」という議論が広まりました。このとき、残念ながら日本は「グローバル化=アメリカ化」と勘違いしてしまった。日本における議論の焦点が「アメリカ化の是非」にずれていく中、中国や韓国に後れを取る事態になりました。そして気がつけば、世界銀行も国際連合もトップは韓国出身者になっていた。
韓国は1997年のアジア金融危機以来、グローバル教育を進めてきました。経済的に余裕がある家庭は、子どもを留学させていることは、読者の皆さんもご存じではないでしょうか。日本はその間、留学者数が減っている。国際的な存在感が薄れた結果、「東大というのは、東京にある大学」という程度の認識しか、されていない残念な状態になっています。
――日本は安全で食べ物もおいしく居心地がいい。苦労して外国に出ていくインセンティブが弱く、若い世代が内向き志向になる要素もそろっています。
私はグローバル教育で、本当に重要なのは、好奇心だと思います。世界は広くて面白い。それに興味を持つことがすべての出発点になります。
私は今、高校生を対象に「竹中平蔵 世界塾」をやっています。ここで高校生に「世界でいちばん偉いのは誰だと思う?」と尋ねると、大抵「アメリカ合衆国大統領」と答えます。そこで「確かに大統領の権力は大きいけれど、合衆国憲法で大統領に関する記述は第2条なのです。第1条は議会。なぜだと思う?」と進めながら、アメリカの歴史を話すと、皆、関心を持ってくれます。
勉強は「自分でやるもの」だと私は考えています。そして教育とは「勉強したいと思わせること」。グローバル教育でも、この基本は変わりません。
――現実には「教育とは勉強させること」になりがちです。
私と同じ和歌山県出身の南方熊楠が、こんなことを言っています。「学校は嫌いだったが、学問は好きだった」、こういうことだと思いますね。
私自身は、いい先生に恵まれたと思います。特に小学校5、6年生のときの担任の先生の存在は大きかった。自分なりに調べて勉強したものを見せると、とにかく、褒めてくれたのです。実際は社会科の参考書を書き写しているような感じでしたが、褒められるとうれしくて、どんどん学びたくなる。教育の基本はこういうふうにencourage(励ますこと)だと思います。
一方で、先ほどもお話したように、勉強は自分でやるもの。教師の立場になると「あのとき、先生がこう言ってくれた」と教え子から言われます。一つひとつは、自分でさほど意識していない。生徒の側に先生の言葉を「拾う気持ち」があるから、学びがあるのだな、と思います。
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