『Love, Money&Parenting』(マティアス・ドゥプケ、ファブリツィオ・ジリボッティ、2019年=訳書は『子育ての経済学:愛情・お金・育児スタイル』2020年)は、子どもの将来が教育の成功によってどれくらい決定してしまうか、つまり学歴によって収入の格差が大きい国や時代ほど、親が熱心になることを、歴史的な比較や国際比較のデータと著者らの個人的エピソードによって示している。
1970年代は、学歴や学校間の差が大して将来の成功に影響しない西欧諸国では子育てのスタイルはより寛大で、子どもの選択を尊重する傾向が強かった(訳書では「迎合型」と呼ぶ)。
しかし、1980年代以降の新自由主義や大学全入時代を背景に、教育の程度や学校による不平等が拡大し「教育の見返りが大きく」なると、親たちはより熱心に干渉しはじめる(「徹底的」子育て)。
アメリカ・大学不正事件や「SKYキャッスル」でも描かれたように、子どもの入試に対してできることを“なんでもしようとする”親のあり方は、同著が「ヘリコプター・ペアレンツ」と呼ぶ、子どもの上をホバリングする親とも重なる。
日本でも大学や就職の説明会に親が参加するケースが増えていることなどが報じられてきたが、世界的にこのような傾向があり、その背景には社会の格差があるということだ。
世界のミドルクラスの親たちの「戦略」
この世界的な教育をめぐる競争の中で、世界のミドルクラスの親たちは、どのような戦略を取っているのか。母親は専業主婦になり、付きっきりでサポートをしているのか? それとも、共働きでできる限りの教育費を稼いでいるのか。
これまで日本では、女性活躍や少子化対策の文脈で「ワーク・ライフ・バランス」として出産や育児と仕事とのバランスが論じられてきた。私自身も『「育休世代」のジレンマ』で育休明けの女性の仕事と育児のジレンマを書き、その後東洋経済でも連載をしてきた。しかし、「ワーク・教育・バランス」はどうなっているのか。
日本では、たとえば子どもが塾に通うにしても、夕食の弁当づくりやコーディネーター的な役割を親が担っており、専業主婦が支えてきた傾向がある(平尾桂子、2003年「学校外教育利用と母親の就労 進学塾通塾時間を中心に」本田由紀編『女性の就業と親子関係』)。
しかし、外で働く女性が増えてきた中、子の教育に対して力を入れることと仕事の板挟みに遭っていく家庭は増えていくのではないか。
実は、日本ではM字を描いてきた女性の年齢別就労率で、子どもの学齢期にカーブが下がる「キリン型」とも呼ばれる国がある。それが、私がいるシンガポールだ(「キリン型」の呼称は落合恵美子ら編『アジアの家族とジェンダー』〈2007年〉より)。
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