10年前の「反復」がもたらした日本のコロナ危機 「中止だ中止」と言えない主権者と無責任の体系
この危機を救ったものは、《偶然》だった。3月16日の夕刻、4号機上空を飛んだヘリコプターからの撮影により、核燃料プールに水があることが確認される。なぜ、ないはずの水があったのか?
それは、核燃料プールに隣接する「原子炉ウェル」という部分に張ってあった水と、原子炉ウェルにつながる「ドライヤー・セパレーター・ピット」という部分の水が、プールに流入したためだった。原子炉ウェルとプールの間には仕切り板があるのだが、地震の振動などにより仕切り板がずれて流入したとみられる。そして、われわれがとりわけ「幸運だった」というのは、原子炉ウェルは、通常水が満たされる場所ではないからだ。なぜそこに水があったのか?
事故前年の末に、4号機では原子炉のシュラウドと呼ばれる部分の付け替え工事が始まっていた。このシュラウドは、長年の使用により放射化しているために、それを通過させる原子炉ウェルには水が張られていた。しかも、その水は、2011年3月7日に抜き取られるはずだった。そうならなかったのは、シュラウドを切断する際に使用する治具に設計ミスが発見され、付け替え工事の工期が延びていたためであった。
もしもシュラウド交換工事が2011年3月11日に重ならなければ、そして工期延長がなければ、あの最悪のシナリオが招き寄せられたのである。私たちは、文字どおりの破滅の間際にいた。このことは、どれほど強調しても足りない。
まるで狂人と正常人のやり取り
かつ恐るべきことに、この状況の深刻さをその当事者たる東京電力の上層部は、まったく理解していなかった。3月13日昼過ぎの時点で原子炉に注入する淡水がなくなり、吉田昌郎福島第一原発所長は、海水を注入するほかないと報告した。その直後の東電本社と現場とのテレビ会議の模様が後に報道されるが、そこで東電幹部から発せられた言葉は耳を疑わせるものだった。
「いきなり海水っていうのはそのまま材料が腐っちゃったりしてもったいないので、なるべくねばって真水を待つという選択肢もあるというふうに理解していいでしょうか」
この幹部が懸念したのは、海水を注入された原子炉が使用不能になることだった。吉田所長は「理解してはいけなくて、(中略)今から真水というのはないんです。時間が遅れます、また」と即座に返しているが、この会話は狂人と正常人のやり取りに聞こえる。メルトダウンはもう間近に迫っていた。そんな原子炉を二度と使えるはずがない。
そして何よりも、この瞬間は、日本が破滅するかどうかの瀬戸際にあったのだった。東電幹部の言葉からは、そのような認識と切迫感が一切感じられない。「原子炉が使えなくなると我が社に何百億円も損が出る」という懸念があるだけだ。要するに、この人物は、「日本が終了してしまうこと」と「東京電力という会社が何百億円か損失を出すこと」とを天秤に掛けてどちらが重大であるのかを判断できなかった。
否、東電の損失すら考えていなかったもしれない。大失態を起こしてしまった原子力部門に属する自分の出世の困難を思っていたのかもしれない。かかる人物を形容するにあたり、「狂人」以外に適切な言葉を私は知らない。
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