10年前の「反復」がもたらした日本のコロナ危機

「中止だ中止」と言えない主権者と無責任の体系

第2章は、新自由主義社会批判を主題としている。第1章で示唆されるように、悲惨な政治を支えてきた基盤は、結局のところ現代日本社会それ自体の悲惨さであり、日本人自身の悲惨さである。ではなぜ、社会は劣化してしまったのか。私は、2020年に『武器としての「資本論」』(東洋経済新報社)を刊行したが、同書はマルクス『資本論』のガイドであると同時に、新自由主義批判を企図している。

同書に含まれる重要な主張は、新自由主義は、単に政策を支えるイデオロギーではないということだ。今日それは、一種の文明の原理と化し、したがって人々の魂のなかに入り込んでいる。その諸相を、新自由主義の同伴者たる反知性主義に対する分析とともに、本章は提示する。

第3章には、『国体論――菊と星条旗』に深く関連する論考を集めた。『国体論』刊行の約1年後に、平成から令和への改元が行われた。改元の過程で際立っていたのは、安倍政権による改元・元号の「私物化」だった。この恐れを知らぬ振る舞いが平成の天皇(現上皇)の思慮深い言動と著しい対照を成すなかで、平成時代は終わった。

他方、世論は天皇自身の異例の意思表示による生前退位(譲位)という事件の意味を深く受け止めることもなしに、改元をやり過ごしたにすぎなかった。そこにも社会の劣化の一端が現れているが、それは明治日本が創作した近代天皇制の一帰結にほかならない。現代日本の閉塞を形づくる1つ目の文脈として新自由主義化を指摘するのが第2章だとすれば、もう1つの文脈としての特殊日本的事情=近代天皇制を指摘するのが第3章である。

沖縄と日韓・日朝関係

第4章では沖縄と日韓・日朝関係を取り上げる。戦後日本の「平和と繁栄」のバックヤードが沖縄と朝鮮戦争(およびその帰結としての南北分断の固定化)であった。したがって、戦後レジームの破綻・崩壊は、本土と沖縄との関係、日韓・日朝関係の不安定化や緊迫において劇的に表れる。その緊迫の諸相を考察することは、戦後の本質に対する私たちの理解に資するところ大であるはずだ。

第5章は、「歴史のなかの人間」と題した。ここで「歴史」を口にするのは、そこに私たちの「再生」が懸かっていると私が考えるからだ。私たちはいかにして今日の苦境を脱け出し、よりよき未来への希望を懐けるのか。キーワードとなるのは「歴史」と「記憶」だと私は思う。

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現在の権力は、最悪のかたちで記憶を利用している。「東京五輪2020」と「大阪万博2025」というのがそれだ。戦後の終わり、戦後レジームの崩壊的解体の混迷に対する処方箋として戦後の発展の栄光の記憶を持ち出すことにより、さらなる「否認」の泥沼のなかで人々を眠り込ませようとする一方で、その内実はイベントにかこつけた公金の分捕り合戦にすぎない。この現実は、現代日本における良き未来への想像力の枯渇を示して余りある。

私たちの想像力を豊かにするような歴史と記憶の想起はいかにして可能か。ごく近い現代史から戦中の時代に至るまで素材を求めて試みた論考が5章に収められている。

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